【転身】兄・秀吉にいざなわれて武士の道へ
いずれにせよ、秀長が物心ついた頃には、3歳年上の兄・秀吉は放浪生活を送っており、実家に寄りつかなくなっていた。
そんな風来坊のような兄が、18歳の頃に織田信長に仕え始める。そのことが秀長の人生も大きく左右することになるとは、本人も想像しなかったことだろう。
秀吉は信長のもとで「小者」と呼ばれる雑用奉公人として仕え、やがて足軽へと昇進。永禄5(1562)年、信長と徳川家康が清洲同盟を結んだ頃には、さらに足軽組頭に出世を果たす。
ぶらぶらしていた秀吉は、25歳にしてようやく胸を張れる状況に身を置くことができたといえよう。だが、ここからが肝心だ。なにしろ、足軽組頭となれば、何人かの部下を率いる立場となる。野心に燃える秀吉には、どんなときも裏切らず、自分を支えてくれる補佐役が必要だった。
だが、出自が貧しい秀吉には、信頼できる家来がいない。
そんなときに「弟しかいない!」とひらめき、急ぎ秀吉は故郷へと帰還。実家に帰り、秀長を家臣にスカウトしようとしたようだ。
だが、残される母や姉、妹のことを思えば、秀長とて簡単には首を縦に振るわけにはいかなかっただろう。それでも秀吉は敵方を寝返らせる調略に長けていただけあり、説得は得意ジャンルである。秀吉はこんな決めセリフを言ったらしい。
「乱世にあって名を後世に伝えようと思っても、頼みとする者がいなくては心細い。どうか鋤(すき)を捨てて、わしに力を貸してほしい!」
このエピソードが載る『武功夜話』は誤りが多い史料なので、うのみにすることはできないが、秀長が兄にいざなわれて、一大決心をしたことは確かだろう。
秀長は農民から侍となり、兄のそばで生きる道を選ぶこととなった。