NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第35回「欲望の怪物」では、徳川家康が上洛して豊臣秀吉に臣従することを決意。徳川家の家臣と豊臣家の家臣が交わるなかで、家康は石田三成とも対面することになる。戦のない世を作るために秀吉と家康が手を組んだかに見えたが……。今回の見所について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
家康が秀吉に屈して上洛を決意したワケ
重臣たちの反対もあり、豊臣秀吉の上洛要請をスルーしてきた徳川家康。しかし、秀吉から妹の朝日姫を家康の正室にと送り込まれ、さらに、秀吉が生母まで人質として送ると言い出したので、家康としても無視し続けることが難しくなってきた。
江戸時代初期に旗本の大久保忠教が著した『三河物語』によると、酒井忠次をはじめ上洛に「納得いきません」と異議を唱える重臣たちに対して、家康はこう訴えかけている。
「私が上洛しなかったら、断交となる。しかし、百万騎で攻めよせてきても、一合戦に討ち破ってみせるけれど、戦というものはそういうものではない。私ひとりの決断で、民百姓、 諸侍どもを山野にのたれ死にさせるなら、その亡霊のたたりこそおそろしい。私ひとりが腹を切って、多くの人の命を助ける」
民のために戦を止めることを優先して、ここは我らが泣く泣く折れようではないか、というのだ。この家康のスタンスは、亡き築山殿と「戦なき世にする」という約束を果たそうとする『どうする家康』での家康と、一致しているといってよいだろう。
ドラマでは、松本潤演じる徳川家康が重臣たちの前で「秀吉にひざまずいても…よいか?」と無念そうに声を絞り出すシーンが印象的だった。
家康は天正14(1586)年10月20日に岡崎城を出発すると、27日に上洛を果たす。秀吉とは大阪城で謁見することとなった。