家康が晩年を過ごした駿府城

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。8月には追加キャストが発表され、2代将軍の徳川秀忠は、森崎ウィンが演じることが明らかになった。家康は後継者となる秀忠と、どんな絡みをみせるのか。ドラマに先立って、家康と秀忠との関係性について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

家康と秀忠はどんな親子関係を築いたのか

 次回の『どうする家康』は第35回「欲望の怪物」で、徳川家康がついに上洛して、豊臣秀吉に恭順の意を示すことになる。最終回は第47回か第48回のいずれかになりそうなので、残すところ10回強だ。そう考えると実に寂しい限りである。

 クライマックスに向けて、徐々に「家康が成し遂げたこと」よりも「家康が遺したもの」に焦点があたることだろう。同時に注目されるのが、家康の後を継ぐ徳川秀忠である。

 ドラマでは、家康は未熟な若き秀忠にかつての自分の姿をみて懐かしく思うのか、それとも、あまりに自分と異なるタイプで呆気にとられるのだろうか……。

 松本潤演じる家康と、森崎ウィン演じる秀忠との親子関係が今から楽しみだが、実際に二人はどんな親子関係を築いたのか。よりドラマを楽しめるように、先取りで解説していこう。

引退する気もないのに将軍職を息子に譲ったワケ

 徳川秀忠が第2代将軍に就いたのは、慶長10(1605)年4月16日のことである。将軍宣下の儀式が行われて、秀忠は27才にして家康の後を継いで将軍となった。

 だが家康はこのとき、将軍に就任してわずか2年で、まだまだ引退する気はなかった。それでも秀忠に将軍の座を譲ったのは、「将軍家を徳川家で世襲する」ことを世間的に示すためである。いつでも先手を打つ家康らしい。

 秀忠が将軍職に就くと、家康は駿府に退き、自ら大御所となった。いわゆる「二元政治」であり、政治の実務は秀忠が行ったものの、政治の実権は依然として家康が掌握することになる。

 家康と秀忠は、支配エリアの分担も行っている。家康は西日本の担当で東海・北陸から西の諸国を、秀忠は東日本の担当として関東・奥羽の諸国を支配した。

 とはいえ、軍事指揮権や外交権は、大御所の家康が握っている。さらに、秀忠のもとには、家康の信頼が厚い本多正信が送り込まれており、家康が駿府からしっかり秀忠を見張っていた。

 人材も明らかに家康の駿府城のほうに集められており、秀忠としてもやりづらかったのではないだろうか。