連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

徳川家康の健康に対する考えは現代の私たちにも大変参考になる

 家康の健康法は、108歳の長寿を全うした天海僧正が説いた長生きの心得が影響している。

「気は長く、つとめはかたく、色うすく、食細うして、こころ広かれ」

(短気せずに、勤めに励み、忙しい中でも閑を見つけ、腹八分目を心がけ、広い心で人に接しなさい)

 麦飯は一般庶民の主食だった。武士は白米を好んで食べたが、家康は麦飯にこだわり、麦飯と豆味噌を好み粗食の腹八分目を心がけていた。

 なかでも好物は焼き味噌。

 焼き味噌とは、胡麻油で豆味噌を炒め、生姜や大葉のみじん切りを混ぜて団子状にした料理で、鷹狩りの際、麦飯の握り飯と一緒に持参した。

「味噌が切れれば、米なきよりくたびれるものなり」と当時の兵法書に書かれたように、戦国武将にとって味噌は米よりも重視された。

 また、魚や野菜の煮物などをよく食し、鰯の丸干し、蓮根と山芋をまぜてすり潰し麦ごはんにかけたのを好む一方、キジや鶴の焼き鳥なども好物としていた。

 薬学に造詣が深く、薬学書である『本草綱目(ほんぞうこうもく)』を手に入れるため、家康のブレーンの一人、林羅山を長崎まで遣わせたり、日本の医学に大きな影響を与えた『和剤局方(わざいきょくほう)』を参考に薬草・薬木を栽培したりしていた。

 それを自分で調合し、万病に効果を発揮するとしたものを「万病丹」、主成分に水銀とヒ素を使用し毒に対する抵抗力を強くしたものを「銀液丹」と名づけて常用した。

 また、出陣にあたり、笠の裏に現代の熱中症とされる「暑気あたり」や「霍乱除け」の薬を自ら配合し、「御笠間薬」と称して持ち歩いていた。

 日常的には八味地黄丸に、海狗腎(かいくじん)を独自に加えて処方したものを愛用していた。

 海狗腎は、オットセイのペニスと睾丸のことで、オットセイの雄は30頭の雌と1カ月の間、交尾し続けるという精力の強さから、よく漢方薬に使われている。