野球で得たかけがえのない財産

 この教えは、社会人になってからも生きています。一度お会いして名刺交換した人のお顔やお名前を覚えていないのは、とても失礼なことです。どんな人なのか、どういう話をしていたかなど、その人のことを覚えておくのは、仕事をするうえでとても大切です。

 場内アナウンスは、最初は苦手でした。高校時代にも練習試合などでアナウンスをした経験はありましたが、神宮球場となると求められるレベルがまったく違います。

 私は茨城出身なので、訛りやイントネーションの違いがあったんです。まずはそこを直すところから始めました。自宅に帰ってから何度も練習するなどして、神宮球場レベルのアナウンスができるようになりました。

 大学3年時には、明治神宮大会で日本一になりました。私は選手たちを見守る立場にいただけですが、とてもうれしかった。大学でもマネジャーとして野球を続けてよかったと感じました。

 中学で選手として全国大会に出場して、高校ではマネジャーとして甲子園を経験。大学でもマネジャーとして日本一。なかなかできないことを経験させてもらえました。私は小学生の頃からずっと、チームメートやまわりの人に恵まれていると思います。

 マネジャーの仕事でも、他大学のマネジャーに支えられることが多かったですね。

 2年時に二部から一部に上がったことで、新たに覚えなければならないことや、わからないことがたくさんありましたが、丁寧に教えてもらいました。仕事がうまくできなくて落ち込んだときに、励ましてもらったこともあります。

 当時の仲間とは今でもつながっていますし、心から話せる間柄です。人とのつながりは大きな財産。これからも大事にしたいですね。

 大塚さんは立正大を卒業後、旅行業界で3年間働いた後、2023年に野球用品の製造、販売、修理をおこなう野球用品商社・株式会社イソノ運動具店に転職した。同社初の女性の営業職として、社会人チームや高校、大学の野球部などを担当している。

お客様のために最適な提案ができるように準備する大塚さん

 新卒として旅行関係の会社に就職して、スポーツのチームや団体の遠征に関わる仕事を担当していました。仕事は楽しかったのですが、「もっと野球に直接関わる仕事に携わりたい」というのが本音でした。

 そんなとき、立正大の坂田精二郎監督(当時)から「イソノ運動具店が女性の営業職を募集しているよ」と聞いたんです。私は「受けたいです!」と即答。面接を受けて採用されました。