⑤『影武者』における影武者と武田信玄
1980年の『影武者』(黒澤明監督、東宝)では、信玄の影武者と本物の武田信玄の二役を演じるという異例の試みがなされた。
これはもともと別の役者を使うつもりで作られた脚本と役柄である。
主人公の影武者は、泥棒上がりで、さしたる学もない。これまで彼が演じてきた切実さや鋭さの薄いキャラクターである。
むしろ、ひょうきんなところ、抜けたピエロっぽいところがある。
だから、これを仲代達矢だと思っていつもの切れ味を期待していると、何か少しだけ違和感を覚えるかもしれない。
しかし、この影武者が真剣に「武田信玄」を演じる時は、仲代達矢でなくして誰ができるのだろうと思える存在感がある。
長年、信玄に仕えてきた女性たちや孫ですら、騙されてしまうほど、武田信玄らしいのだ。
仲代達矢は、武田信玄を演じる影武者という困難な役柄を演じ切り、『切腹』以来、二度目のブルーリボン主演男優賞を受賞した。
なお、この作品では、織田信長、上杉謙信、徳川家康などの有名大名も登場するが、当時、よく知られていた肖像画をベースとする外見と衣装で、いずれも完成度が高い。
ただ、この頃に信玄の肖像とされていた、とても大柄な武将像は、現在では武田信玄ではなく、別の戦国大名だったことが通説となっている。
そして、信玄であることが確実とされる肖像画の信玄は、これと異なり、痩せ型の体つきである。
旧説の肥満型武将像が否定されることにより、結果的に、まるで肖像画の方が、仲代達矢に似ていったようで、少し面白いことだと思う。
⑥『乱』における一文字秀虎
さらに黒澤明監督は『乱』(1985年、東宝・日本ヘラルド、フランスとの共同製作)では、戦国大名・一文字秀虎というシェイクスピアの『リア王』を下敷きにした老将役に仲代達矢を選んだ。
もちろん主人公である。
この主人公は、特に難しい役であったと思う。
戦国の乱世を知り抜いた狡猾な老人が全てを失って、呆然としたまま、ほとんどセリフらしいセリフもなく彷徨い歩く姿は、演技力だけでなく、強烈な存在感が必要不可欠であった。