日本プロ野球と名門球団ヤンキースの深い関係

 野茂英雄氏が1995年にメジャーのマウンドに立ってから30年の節目を迎えた。この間に日本選手は全30球団に在籍した。その中でも、メジャー最多のワールドシリーズ制覇27回を誇るヤンキースは、日本選手にとっても特別な球団の一つだった。

 日本選手でヤンキースと1997年に初めてメジャー契約を結んだ伊良部秀輝氏は、日本の所属球団だったロッテがパドレスへのトレードを成立させたが、ヤンキース入りを熱望し、異例の三角トレードによってピンストライプのユニホームに袖を通した。

日本選手で初めてヤンキースとメジャー契約を結んだ伊良部秀輝氏。写真は1999年のもの(写真:AP/アフロ)

 この騒動がメジャー球団への移籍機会の均等化を図るポスティングシステムの確立へとつながった。

 2003年には、巨人の主砲だった松井秀喜氏がFA権を行使してヤンキース入り。共同通信の記事によれば、松井氏を熱血指導した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏は、松井氏からメジャー移籍の決意を聞かされたとき、「どうせ行くならヤンキースへ行けよ」と声をかけたという。

 松井氏のヤンキース入団に伴い、数多くの日本メディアがニューヨークに駐在する記者を配し、現地から多くのニュースを日本へ届けた。当時のヤンキースでの松井氏に関する報道は、同時期に西海岸のマリナーズで活躍したイチロー氏の活躍とともに、日本におけるメジャー報道の中心を担った。

 2007年には「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔氏が同じア・リーグ東地区のライバル球団のレッドソックスへ、またヤクルトの岩村明憲氏も同地区のレイズ(当時デビルレイズ)へ移籍。同地区の戦いにも注目が集まった。

 2009年にワールドシリーズを制した際には、松井氏が日本選手初のシリーMVPにも輝いた。松井氏が抜けた後も、2012年には元広島の黒田博樹氏がドジャースから、同年途中にはイチロー氏もマリナーズからそれぞれ移籍し、2014年には楽天からポスティングシステムでメジャー移籍した田中将大投手を争奪戦の末、7年総額1億5500万ドル(当時のレートで約161億2000万円)の大型契約で獲得した。

 もちろん、ニューヨークのメディアは辛口で知られ、日本選手も期待通りの活躍ができなければバッシングの対象となってきた。