熱力学第二法則とブラックホールの間にあった矛盾

野村:先ほど、エントロピーは自然に増える方向に進むという話をしました。

 ブラックホールのエントロピーがゼロだったらどうなるのか。ブラックホールの中に、箱に入った空気を放り込んでみましょう。空気の分子の配置は乱雑であるため、空気にはエントロピーがあります。ところが、それをブラックホールに放り込んでしまうと、その後には箱を飲み込んでしまったブラックホールしか残らないため、エントロピーが消えてしまいます。

 つまり、もしブラックホールのエントロピーがゼロなら、「エントロピーは増える一方である」という熱力学第二法則が破綻してしまうのです。熱力学は物理学の根幹を支える理論です。その法則が崩れるとなれば、物理学全体が成り立たなくなってしまいます。

──今は、この熱力学第二法則とブラックホールのエントロピーの間の矛盾は、どう考えられているのでしょうか。

野村:現在では、これらの間に矛盾があるとは考えられていません。

 もともとブラックホールはある面積則に従うことが知られていました。たとえば、2つのブラックホールが合体するとしましょう。片方の事象の地平面の面積をA1、もう一方をA2、合体してできたブラックホールの事象の地平面の面積をA3とします。

 このとき、A3はA1+A2よりも大きいか、少なくとも等しいという関係になります。つまり、宇宙に存在するすべてのブラックホールの事象の地平面の面積の総和は、時間とともに増加する傾向にある。これは「時間の経過とともに増えていく」というエントロピーの性質に非常によく似ています。

 この発想をもとに「ブラックホールにもエントロピーがあるのではないか」と考えたのが、イスラエルの物理学者ヤコブ・ベッケンシュタインでした。彼は、ブラックホールのエントロピーが事象の地平面の面積に比例するという大胆な仮説を立てたのです。

 ここで、空気をブラックホールに投げ込む思考実験をもう一度考えてみましょう。ブラックホールに空気が入った箱が投げ込まれると、ブラックホールの事象の地平面の面積が広がり、それに比例するかたちでブラックホールのエントロピーも増大します。つまり、空気のエントロピーは失われず、形を変えてブラックホールの側に蓄えられる。

 これによって、熱力学第二法則は崩壊せずにすむわけです。