両親との別れ
ハーンが生まれた翌年となる1851年(嘉永4)、父・チャールズはイギリス領・西インド諸島へ単身で赴任し、約2年の間、ハーンは母・ローザと二人きり、レフカダ島で暮らした。
1852年(嘉永5)夏、ハーンが2歳の年、ハーンと母は、父の実家があるアイルランドのダブリンに移り住んだ。父はグレナダに赴任しており、不在である。
1853年(嘉永6)、父が任地から帰還した。だが、1854年(嘉永7・安政元)4月、今度はクリミア戦争に出征する。
慣れない土地に残された母・ローザは、気候や文化、言葉の違いに馴染めず、同年の初夏、4歳のハーンを残して、キシラ島に帰郷してしまう。これがハーンと母との、永遠の別れとなる。
この時、懐妊していた母・ローザは、同年8月12日に、ハーンの弟となるジェイムズ・ダニエル・ハーンを、キシラ島で出産している。
父母と離ればなれになったハーンは、大叔母にあたる資産家の未亡人サラ・ブレナン(父・チャールズの叔母。祖母・エリザベスの妹)に養育された。
子どものいない大叔母は、ハーンに跡を継がせるつもりだったという。
大叔母に引き取られたハーンは、キャサリン・コステロという乳母がつけられた。ハーンは、彼女が語るアイルランドの妖精や妖怪の物語に、胸をときめかせた。
また、のっぺらぼうの女性ジェーンの幻を視るなど、お化けや幽霊などの幻視を頻繁に体験している。
この頃、ハーンは毎年夏になると大叔母に連れられて、アイルランド南部ウォーターフォード州のトラモア海岸の別荘に滞在し、水泳を覚えた。
1857年(安政4)1月、父・チャールズは、母・ローザとの結婚無効を申し出て、離婚した。
父・チャールズは初恋の相手である未亡人アリシアと再婚し、同年8月に、アリシアと彼女の娘2人とともに、インドへ赴任している。
以後、ハーンが父と会うことはなかった。
わずか7歳の自分を残して去っていった父を、ハーンは許さなかった。
対して、父に捨てられた可哀想な母には、生涯にわたって思慕と憐憫の念を抱き続けていく。