禁じられた結婚

 ハーンは、アメリカのオハイオ州・シンシナティに住む親戚を頼るも、援助を受けられなかった。

 日雇いの仕事で凌いでいると、ハーンは数ヶ月後に、小さな印刷屋を営むイギリス出身のヘンリー・ワトキンと出会った。

 ハーンに同情したワトキンは、店の一室に裁断した紙を重ねたベッドを作って、ハーンに眠る場所を与えた。そして、印刷の技術を教え、仕事を世話している。

 ワトキンの店で暮らしたのは2年間だったが、ハーンは生涯にわたって、ワトキンを父のように慕った。

 ハーンは毎日のように公立図書館に通い、読書に没頭した。また、暇をみては自ら物語を綴り、投稿をはじめている。

 やがて文才を認められ、1874年(明治7)、24歳の年、ハーンは地方新聞社であるシンシナティ・エンクワイアラー社の正社員となる。

 ハーンは衝撃的な殺人事件の記事を次々と世に送り出し、「センセーショナル・レポーター」として、その名が知られるようになった。

 この頃、ハーンは、黒人の母と白人農場主の間に生まれたアリシア・フォリー(愛称マティ)と結婚式を挙げている。

 だが、当時のオハイオ州では、州法により異人種間での婚姻が禁じられていた。

 そのため、ハーンはエンクワイアラー社を解雇され、ライバル紙であるシンシナティ・コマーシャル社への転職を余儀なくされている。

 しかし、1877年(明治10)、二人の結婚生活は破綻してしまう。

 同年10月、ハーンは逃げるようにルイジアナ州のニューオーリンズに居を移した。