心の恋人エリザベス・ビスランド

 貯えはないに等しく、就職先のあてもないまま訪れたニューオーリンズで、ハーンは次第にジャーナリストや作家として、頭角を現わしていく。

 1881年(明治14)12月には、アメリカ南部第一の大新聞社タイムズ=デモクラットに文芸部長として迎えられた。

 翌1882年(明治15)12月12日には、ハーンの母・ローザが、イオニア諸島のコルフ島の病院で、亡くなっている。59歳だった。

 だが、ハーンが母の死を、生涯知ることはなかった。

 この年の冬、ハーンは、彼の「心の恋人」とも称される、エリザベス・ビスランドに出会ったとされる。

 才気に溢れ、若く美しいビスランドに、ハーンは淡い憧れを抱いたという。

 1883年(明治16)には、ハーンはニューヨークの有力出版社ハーパーズ&ブラザーズの仕事もはじめた。