東京で待つ

 柳瀬嵩は暢に、なかなか気持ちを打ち明けられずにいたが、やがて二人の仲は深まり、恋愛関係へと発展していった。

 そんななか、暢は入社から1年も経たないうちに、高知新聞社を退職することとなる。

 東京で、高知県選出の衆院議員の秘書を務めることに決まったからだ。速記の技術を買われてのことだったという。

 ドラマの朝田のぶと同じように、暢も速記ができた。柳瀬嵩いわく、暢は「中根式速記の名手」だという。

 この頃、柳瀬嵩は東京で漫画の仕事をしたいと願っていた。

 それを知る暢は、柳瀬嵩に「先に行って待っている」と告げると、東京へと旅立っていった。

 柳瀬嵩も覚悟を決め、翌昭和22年(1947)6月に退社すると上京し、先に東京に行っていた暢と同居した。