漫画家として独立した夫を支える
昭和22年(1947)10月、柳瀬嵩は三越百貨店に入社し、宣伝部で働いた。その傍ら、新聞や雑誌など多くの媒体に、漫画を投稿していく。
昭和24年(1949)、暢と柳瀬嵩は結婚した。
漫画家としての収入が三越の給料の三倍を超えたため、昭和28年(1953)、柳瀬嵩は三越を退職し、34歳で漫画家として独立を果たす。
柳瀬嵩は不安も感じたようだが、暢は、「なんとかなる。収入が途絶えたなら、私が食べさせてあげるから、大丈夫」と励ましたという。
昭和48年(1973)、柳瀬嵩が54歳の時、幼稚園や保育園に月刊で配本される絵本・『キンダーおはなしえほん』の10月号として、『あんぱんまん』を刊行した。
『あんぱんまん』の人気は子どもたちの間でゆっくりと広まっていき、昭和63年(1988)10月には、テレビアニメーション『それいけ! アンパンマン』の放映が開始される。
アニメ放送前後、暢は体調を崩した。検査の結果、乳がんが発覚し、手術を受けるも、すでに全身に転移していた。
暢は闘病生活を送りながら、できる限り夫を支え続けた。
しかし、ついに力尽き、平成5年(1993)の11月22日、奇しくも「いい夫婦の日」に、暢は夫に手をしっかりと握られたまま、この世を去った。
75歳での、痛みも苦しみもない、本当に安らかな最期だったという。
