復帰するつもりはなかった

 これまでの足取りを簡単に振り返りたい。

 樋口が大きな注目を集めたのは2014年のことだ。13歳、中学2年生で出場した全日本選手権で3位になったのだ。中学2年で表彰台に上がるのは2004年大会の浅田真央以来、10年ぶりのことだった。

 翌年も2位と表彰台に上がったほか、この2シーズンの世界ジュニア選手権で連続銅メダル。2016-2017シーズンからシニアに移行し世界選手権に出場した。

 2022年の北京オリンピックでは団体銀メダル、個人戦で4位入賞を果たすなど、日本のトップスケーターの一人として活躍を続けてきた。

 北京オリンピックに出場した翌シーズンである2022-2023シーズン、樋口は9月に行われたロンバルディア杯に出場したあと、シーズンの欠場を発表する。

 コメントの中でこう説明している。

「この度、4月下旬に負った右腓骨疲労骨折からの回復の遅れにより、ベストなコンディションが作れず、グランプリシリーズ2大会、全日本選手権を含めた今シーズンの競技活動は全て見送らせて頂くことになりました。」

 でも怪我によるばかりではなかった。

「やっぱり引退してからの人生の方が長いということを考えたとき、スケートのことだけというのももちろんいいのかもしれないんですけど、自分的にはそれだけになっているのがすごく窮屈になってしまって……。例えばオリンピックに出るとか、世界大会でメダルを獲るとか、そういう目標を作ってそこに向けて練習を積み重ねるというのがいわゆるアスリートという感じだと思います。でもそれが自分の気持ちと全然違う方向になっている感じがしていて、それが限界でできない状態、目指せない状態なのに、そういう風に言わなきゃいけないし、そこに向かなきゃいけない。自分らしくいられていない感じがして、休みました」

 3歳でスケートを始めて、早くから台頭し、期待を背負ってきた。スケートにまっすぐに打ち込み、スケートの世界に生きてきた。そこに揺らぎが生じたとき、立ち止まるのは自然な流れであっただろう。

 休むと決めたとき、

「復帰するつもりはなかったです」

 と言う。