「表現者の復権」を今・ここに、この手に
2003年、篠田さんの監督引退作「スパイ・ゾルゲ」は3時間超えのライフワーク、超大作として公開されましたが、必ずしも興行的に成功はしていないと思います。
映画の冒頭では「瀬戸内少年野球団」などで仕事した池辺晋一郎の作品がそのまま引用され、末尾は作品全体を「この映画を武満徹へ」と献辞して、武満の「弦楽のためのレクイエム」が流れる。
すでに22年が経過していますが、この段階で遺書のような作品になっている。
多くの映画視聴者は、監督の篠田さんが「音楽の」武満さんを追悼している、と思うでしょう。でも、それは、そうではない。
篠田さんご自身の口から「武満からは『映画』をたくさん学んだ」と、私も繰り返しうかがって、そうした協業が可能だった時代が、本当に羨ましいと思いました。
戦前の特高警察などによる拷問に端を発する、筋金入りの「独立不羈の表現」への決意は、そのものずばり「スパイ・ゾルゲ」で、一度句読点を打たれていますが、そうじゃないと思うんですね、私は。
いまユーチューバー全盛みたいになっていますが、広告費目当てでビュー稼ぎ目的のコンテンツが大半を占め、それが選挙の不正などにも活用されるという、民主主義もメディアの良識も瀕死の状態が現出している。
そんななか、音声動画も、また「音楽」や「音響」「音効」も、一人の、あるいは数人のクリエーターが協業して「独立」して配信可能になっている事実に、新しい視線を向けるべきだと思うのです。
同様のことは音楽にも顕著ですが、さらに如実なのが「建築」の分野だと、山本理顕さんは強調されます。
5月25日に山本理顕さん、東大生産技術研究所教授で構造建築家の川口健一先生と、東京都美術館で開催する国際先端表現展と並行してシンポジウムを行う予定です。
一言でいうと、一家をなして建築家として活動しているはずの人が、単なる設計下請け業に貶められている。
その極北と言うべき事態が、2025年4月13日から始まった「大阪万博」であるように、私も痛感しています。
磯崎新が存命なれば、いったい何と言って斬り捨てたことでしょうか?
同じように音楽家も、例えば映画音楽を委嘱されるというとき、「とりあえずデモ50曲出して~」といった発注で、それをものづくりに関してアマチュアでしかない「プロデューサー」が見、陳腐の極みのような「売れそうなもの」を素人考えで取捨選択。
結果、目の高い海外の識者から見れば論外と言うしかない代物しか残らなくなってしまった。
フランシス・コッポラの「ゴッドファーザー」は黒澤明の影響ばかり 繰り返されますが、篠田さんが、武満が、あるいは若かった頃の石原慎太郎が、あの時期「表現者」としてあの発信ができなかったら、今のような形には絶対になっていないでしょう。
ベトナム帰還兵の狂気を殺人現場も含めてリアルに描くマーティン・スコセッシの「タクシードライバー」も、ジャン・リュク・ゴダールの「勝手に逃げろ/人生」も、違うものになっていたはずです。
そして、そういう発信力、底力のある「モノづくり」が、例えば、いまの「大阪万博」のどこをどうひっくり返してみても、私には全く見当たりません。
若い世代が独自の創意で希望を見出す局面が極端に少ない。
そんなことじゃ、ダメでしょう。大枚の税金も投入して、各国からも人を呼んだことにして、たかだかその程度のことでは、と思います。
でも、それがいまの日本の現実であること、それも直視する必要があります。
幸い20世紀末まで、音楽作家として襟持をもってメディアの音楽の担当させてもらった、ほぼ最後の世代の生き残りみたいになっていますが、私はまだ仕事ができる年配ですので、許される限り、独立不羈の表現者たる意識をもって、私自身もモノを作っていきますし、縁のある若い人たちには、その大切さ、かけがえのなさを、強調していきたいと思っています。
「作家の復権」は、いまここに実現できること、この手にできる事実を、私が関わる東京藝術大学生や東京大学生をはじめとする学生諸君、若い表現者の仲間たちには、飽かず強調し自分自身も実践しています。
もう、そういう若い連中と一緒に篠田正浩さんにお話がうかがえないのは本当に残念です。
心からご冥福をお祈りしつつ、今日そして明日、自分が何をするかを考え、この原稿もその決意で準備しました。