映画「3分間」構想の精神

 私が初めて篠田さんに直接お目にかかったのは、確か2015年だったと思います。篠田さんが84歳だと話されていた記憶があります。

 もうすでに監督引退作「スパイ・ゾルゲ」をクランクアップしておられ、篠田さんの映像とのコラボレーションはかないませんでした。

 しかし、語り物から戦争、社会の節々に見えるおかしな小さな現象を見逃さないこと、などなど、様々なアドバイスをいただきました。

 多くの内容は別の機会として、ここでは直接うかがった「『3分間』という映画を撮るといいと思うんだよ」というお話だけ記します。

 広島への原爆の「投下」は1945年8月6日、午前8時15分とよく言われるけれど、実はそうではない、と篠田さんは魅力的な笑顔と真剣な目で話されました。

「原爆が炸裂したのは8時15分と言われるけれど、それは広島の上空で爆発したわけで、原爆を落としたのはもう少し前、爆撃機『エノラ・ゲイ』はもっと高い所(9600メートルとされる)から原爆を落として、自分たちは巻き込まれないよう大急ぎで逃げ出していったわけでしょ」

「そこから、人類全体の歴史が、逆戻りできないところに、まさに落ちて行くわけですから、その時間を考えなくちゃならない」

「爆撃機が1個の爆弾を放り出して、それにはパラシュートがついていて、ゆらゆらとゆっくり落ちて行った。そして3分後に取り返しのつかないことが起きた。その3分間を映画にしたらいいと思う」

 ざっとこういうお話をされました。

 実際に資料を当たってみると、エノラ・ゲイが上空9600メートルから爆弾を投下したのが8時15分17秒、それが降下して43秒後、8時16分00秒に、広島上空約540メートルの空中で原爆は爆発したとのこと。

 3分間ではなく43秒が正確かもしれませんが、そんなことはどうだっていいわけで、爆撃機が引き返し不能な「投下」を行ってから「炸裂」に至るまでの「最後の核以前の時間」、そのとき広島の街で暮らしていた普通の大人や子供、老人、航空機の中の兵士たちや、米国本土で無関係に暮らす兵士の家族たち、全く別の地域で生きる鳥や獣、自然や環境、あらゆることがその「3分間」の前と後で、決定的に変わってしまった。

 表現する人間は、そういう瞬間から目を離しちゃいけない・・・。

 篠田さんの言葉は、今現在の私の問いとしても、強く耳の奥にこだまして響いています。