東日本大震災直後のヴィクトワールピサの歴史的勝利
現地時間4月5日にドバイで行われたレースのうち今回は7レースに日本馬が出走していますが、その数は26頭に及びます。特に令和の時代、2020年代に入ってから遠征馬の頭数が増え、わずか十数年前の状況を思い起こせば隔世の感があります。
今から14年前、「日本馬大挙ドバイ行き」のきっかけとなったとも思われるレースがありました。2011年3月26日に行われた「ドバイワールドカップ」です。このレースには、日本からヴィクトワールピサ(牡、4歳)、トランセンド(牡、5歳)、ブエナビスタ(牝、5歳)の実力馬3頭が参戦、結果はなんと1、2着をヴィクトワールピサとトランセンドが占め、日本馬によるワンツーフィニッシュを決めてくれました(ブエナビスタは8着)。
この勝利は国際的に評価の高いレースに日本馬が初めて勝利したことの意義とともに、大きな感動と喜びをもたらしました。なぜならレース開催の15日前に日本列島を揺るがせた東日本大震災という背景があったからです。
大谷翔平のいなかった当時、報道されるニュースといえば暗い話題ばかりで日本全体が消沈している中、それは私たちに元気と笑顔を与えてくれる輝かしいニュースだったのです。
勝利した瞬間、ミルコ・デムーロ騎手は喪章をつけた右手を掲げ、全身で喜びを爆発させます。半馬身の激戦だったとはいえ、レース直後、騎乗したままインタビューに応えたデムーロ騎手の声は震えていました。それは世界の頂点になった喜びとともに、「第二の故郷」と慕う大好きな日本に思いを馳せたことで流れ出た涙だったのだと思います。
「日本のために祈っていました。信じられない。ありがとう、ありがとう。日本を愛しています」と英語で応えるデムーロの姿には競馬ファンのみならず、多くの日本人の胸を熱くさせてくれました。
のちにデムーロ騎手は自著の中で「忘れられないレースはたくさんあるけど、なんといっても印象深いのはヴィクトワールピサで優勝したドバイワールドカップだね」と述べています。日の丸を掲げたデムーロ騎手を背にしたヴィクトワールピサの雄姿は今でも忘れることができません。