第二の人生は種牡馬として海を越え異国の地へ
ドバイワールドカップ以後、ヴィクトワールピサは8か月の休養期間を経てジャパンカップに参戦しますが13着と惨敗、ドバイでの勝利後、異国の地で身も心も使い果たしたのか、続く翌月の有馬記念も8着に終わり、引退が決まります。
全15戦8勝(うちG13勝)という戦績は起伏の多い内容でしたが、ドバイワールドカップを制覇した事実は揺るぎません。まして、2011年という日本にとって歴史に残る年に勝利した馬としての印象は、デムーロ騎手の涙とともにファンの胸に刻まれています。
引退後の2012年1月から北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬生活をスタートさせ、初年度産駒から桜花賞(G1、牝馬クラシック)に優勝したジュエラーが誕生、鞍上はヴィクトワールピサでドバイワールドカップを獲得した盟友、ミルコ・デムーロでした。
その後ヴィクトワールピサは2021年にトルコジョッキークラブ(民間の非営利団体)に購入され、異国の地へわたり種牡馬生活を続けているようで、そのうちの1頭は今年(2025年)トルコのG3レースに優勝しています。トルコの年間生産頭数は3400頭(2023年)ほどで日本の4割程度の規模ですが、ドバイなどで開催される大きなレースにヴィクトワールピサの子供たちが出走してくる日を心待ちにしています。
皐月賞が近づくと思い出される往年の名馬は何頭もいますが、ヴィクトワールピサの場合、レースとともに震災のことが連想され、競馬もまた社会背景とは無関係なスポーツではないことをあらためて認識した次第です。
ヴィクトワールピサという馬名はフランス語で「勝利」を意味する「ヴィクトワール」と馬主の経営する高級時計・宝石販売の社名「ピサ・ダイヤモンド」の冠名「ピサ」を組み合わせたものでした。
ドバイワールドカップの勝利後、ジャパンカップと有馬記念での惨敗の印象が強く、評価が低く見られがちですが、世界最高峰とされるレースに日本馬として初めて勝利したという輝きは宝石以上に目に見えない光を放っている、と私は評価しています。
なお、冒頭で記した今年の「ドバイターフ」優勝馬・ソウルラッシュに騎乗していたのは、ミルコ・デムーロ騎手の実弟、クリスチャン・デムーロ騎手でした。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)