
(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)
歴史に残るライバル対決
今年の皐月賞では1.5倍という断然の一番人気、無敗だったクロワデュノールがゴールまで100メートルというところで3番人気のミュージアムマイルに差され、クラシックレースの1冠目に手が届きませんでした。
人気が集中した馬は目標にされる以外に周囲を囲まれたりするなどレース中さまざまな事態に遭遇しますが、こうした難局を騎手とともに克服しなければ真の王者にはなれないということなのでしょう。1、2着を占めたこの両馬がこの先も良きライバルとして見応えのあるレースを見せてくれるといいですね。
相撲の栃若、柏鵬、野球の長嶋・村山、王・江夏、江川・掛布等々、スポーツの世界ではライバルが存在することによって両者の対決がクローズアップされ、歴史に残る名シーンが数多く生まれます(遠い昔のヒーローばかりですみません)。
競馬の世界でも、古くは1964年、最初の東京五輪の年に話題になったシンザンとウメノチカラ、1970年のタニノムーティエとアローエクスプレス(私の馬歴史はこのあたりから始まります)、1988年のオグリキャップとタマモクロス、2007~08年のウオッカとダイワスカーレット、近年では2022~23年のイクイノックスとドウデュースのライバル対決あたりが話題となりました。
ライバルに仕立てようとすればさらに列挙できる例もありますが、2000年と2001年の両年にわたり白熱のレースを展開してくれたテイエムオペラオーとメイショウドトウという両馬の激闘を忘れてはいけません。両雄がG1レースで熱戦を演じ、6度にわたり1着と2着を分け合ったという例を私はほかに知りません。
テイエムオペラオー(以下、オペラオー)といえば、圧巻だった2000年のレースが思い出されます。2月の京都記念から12月の有馬記念にかけて全8レースに出走、内訳はG2が3レース、G1が5レース、すべて1番人気で全レースを制覇するという前代未聞の結果を残したのです。
翌年、連勝は止まりますが、春の天皇賞(G1)を2年連続で制し、この時点でG1の勲章は7つとなりました。引退時の総獲得賞金も約18億3500万円と、2001年当時としては世界最高額でした。その後、ドバイワールドカップの賞金が高額となり、ドバイ遠征馬たちによってこの記録は破られますが、オペラオーの場合、日本国内だけの賞金だっただけに価値あるものであり、この記録は15年以上にわたり世界一として君臨する額でした。