少年に売色をさせる「陰間茶屋」の出現

 江戸時代の娯楽である、「歌舞伎」などの芝居見物は老若男女を問わず、一般の人々の大きな楽しみであった。

 その歌舞伎の世界では、若衆歌舞伎に代表される、色っぽさと艶っぽさが同居した少年売色「陰間」の出現により、新たな男色文化が開花する。 

 この種の売色衆道は室町後半からあったが、僧侶、公家、武士と続いてきた男色は、江戸時代、町人にも広がった。

 妓楼の経営のように、少年に売色をさせる「陰間茶屋」が現れると、江戸市中で陰間遊びが大流行。

 遊女ならぬ色若衆は「かげま」「舞台子」「色子」「飛子」のほか「陰子」「都子(へこ)」「新都子」などと呼ばれた。

 この都子(へこ)にカネを使い果たして「都子(へこ)倒れ」になるというから「へこたれ」とか「へこたれた」などという言葉が生じた。

「舞台子」というのは、歌舞伎踊に出演する美少年を指す。

 歌舞伎役者が出番のない時に舞台子が売春を行ない、女形や若衆形の役者の多くは男性客だけでなく、御殿女中や裕福な商家の後家といった、女性のパトロンからの支援も受けた。

 陰間の多くは、陰間茶屋や劇場に人身売買させられた少年で、年季奉公として、だいたい10年間契約という縛りがあった。

 少年を置いた遊郭は、男色楼・男倡茶屋・陰間茶屋などとも呼ばれ、それらは、京、大坂、江戸に多数存在した。

 京では宮川町、大坂では道頓堀、江戸では芳町を第一として、これに次ぐのが木挽町、湯島天神、糀町天神、塗師町代地、神田花房町、芝明神前などに密集し、浅草、目黒、目白もその巣窟であった。

 元禄から享保にかけての45年間、17世紀末から18世紀前半期が陰間茶屋の全盛期であった。