連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

男神と女神が交接するチベット密教の本尊「カーラ・チャクラ」像。なぜ最高神はセックスしているのか(画像は筆者所蔵の掛軸・チベット密教のタンカ)

 大晦日、除夜の鐘を打つ回数は煩悩の数である108回とされ、仏教では欲望を無知や迷いの元凶として誡める。

 だが、仏教発祥の地、インドでは煩悩も性的欲望も肯定しているのはなぜか。

 古今東西を問わず、性的象徴が神体となり、男根が生命力の象徴として、女陰は創造物の祖型として、崇められてきたのには理由がある。

 インドでは古代から、難解な宇宙哲学を生み出す一方で、伝統的に地母神に対する信仰が盛んである。

 多産、肥沃、豊穣のシンボルとしての女神と奔放な愛が尊ばれてきたのは、女性は妊娠・出産という連続して生命を再生する、その永遠の連続性を司る神の如き創造性をもった存在、という背景がある。

 そうした女性の神秘性が神性となり、女神として崇拝されると、「性力」は、宇宙の根理である創造の核心として転化され、タントラ派といわれる宗派が誕生した。

 性的概念とそれにまつわる秘儀は、解脱を目指す修道システムのカギとなってきた。

人生の3つの目的

 インドでは、ダルマ(法)、アルタ(財)と並んでカーマ(愛)が人生の3大目標として尊重され、人間の性的欲望が否定されていない。

 そして広く一般に、人生の3つ(トリ)の目的(ヴァルガ)というトリヴァルガの観念が浸透している。

 トリヴァルガとは、少年期は学問などを習熟するなど人生における富や権力明を得る素地を築く実利期。青年期は悦楽と深い愛情を習熟する時期。晩年は宗教的悟りを追求する時期である。

 そうした段階を経ることが理想的な人生とされ、カーマ(愛)は、その根幹をなす極めて重要な要素である。

 御し難き本能は禁忌すべきものとして封印するのではなく、歓喜を持って解き放つべき、という風潮が伝統的に存在する。