カジュラーホの彫刻が意味する信仰としての性愛行動

インドの首都デリーから南東に620キロの位置にあるカジュラーホの寺院がある(画像は筆者撮影、以下同)

 カジュラーホの寺院に見る壁面彫刻の数々は信仰する者に示した、死後の楽土桃源郷の様相を克明に描写した立体図で、彫刻群は性エネルギー・シャクティ信仰の重要なモニュメントである。

 多数の男女交合像であるミトゥナ像の姿態も厚い信仰心を育むよう信者に促すためのものであり、訪れる信者の礼拝のために彫刻されたものだ。

死後の理想的な楽土は、歓喜と愉悦そして愛の願望が達せられるところであり、艶麗赫奕なる、豪奢な紅閨翠帳の後宮を思わせる
至る処で生々溌刺なエロティシズムが謳歌かされている
ミトゥナ像の性交姿態の大半が立位、口唇性交、集団性交の3種に分類される。立位は性的恍惚感を増大させるものとして、ヒンドゥーの貴族社会では好まれた態位とされる
女神像に見る豊満な肉体美。性交姿態は歓喜と愉悦、愛の願望が叶えられた瞬間をあらわし、神々はエクスタシーに耽溺しながら、さらなる大きな法悦へと永劫回帰してゆく

 ヒンドゥー教の罪とは、仏教のように人間の業、人間自身の煩悩に起因するものという考え方とは異なるものだ。

 古来より、彼らの罪は天則、宇宙の規則、秩序、祭式の秩序への違反などが挙げられる。

 だが、それらの罪は、呪詛による内在の超越性、つまり神に対して供儀礼拝を行えば消滅するものである。

 古代より伝統的に人間の性的欲望は否定されるものではなく、セックスは人生の根幹をなすものと考えられている。

 禁忌すべきものとして封印するのではなく、歓喜を持って受け入れるという風潮が長年受け継がれてきた。

 それは性愛行為の先には、生命の再生という連続して永遠なる存在を生み出す生理学的な宇宙生成論の概念に結びついている、という考え方によるものだ。

 タントラとは、サンスクリット語で、覚醒や昇華、悟りなど、高次元への精神的な超越を表す。

 神との合一を目指すタントラの実践に、交接が混淆されたのは、セックスが神の如き創造性という、宇宙の根理に転化されたことによるものといえそうだ。