カジュラーホの彫刻が意味する信仰としての性愛行動
カジュラーホの寺院に見る壁面彫刻の数々は信仰する者に示した、死後の楽土桃源郷の様相を克明に描写した立体図で、彫刻群は性エネルギー・シャクティ信仰の重要なモニュメントである。
多数の男女交合像であるミトゥナ像の姿態も厚い信仰心を育むよう信者に促すためのものであり、訪れる信者の礼拝のために彫刻されたものだ。
ヒンドゥー教の罪とは、仏教のように人間の業、人間自身の煩悩に起因するものという考え方とは異なるものだ。
古来より、彼らの罪は天則、宇宙の規則、秩序、祭式の秩序への違反などが挙げられる。
だが、それらの罪は、呪詛による内在の超越性、つまり神に対して供儀礼拝を行えば消滅するものである。
古代より伝統的に人間の性的欲望は否定されるものではなく、セックスは人生の根幹をなすものと考えられている。
禁忌すべきものとして封印するのではなく、歓喜を持って受け入れるという風潮が長年受け継がれてきた。
それは性愛行為の先には、生命の再生という連続して永遠なる存在を生み出す生理学的な宇宙生成論の概念に結びついている、という考え方によるものだ。
タントラとは、サンスクリット語で、覚醒や昇華、悟りなど、高次元への精神的な超越を表す。
神との合一を目指すタントラの実践に、交接が混淆されたのは、セックスが神の如き創造性という、宇宙の根理に転化されたことによるものといえそうだ。