瞑想と性行為

 紀元前7世紀に成立したヴェーダ哲学の奥義書、『ウパニシャット』によれば、世界は個人の呼気と宇宙の大気との2元的要素によって構成されている。

 個人の呼気は宇宙の大気の一部であって、宇宙生命の呼吸はすべてのものに生命を与えるとある。

 タントラには右の道と左の道という2派がある。

 右道はヨーガを主軸に、深い瞑想によって眠っていた性エネルギー・シャクティを目覚めさせると、霊的身体を上昇して頭蓋骨の頂点に到達、瞑想者の呼気が宇宙の大気と合体することで、神秘的な宇宙意識に結合を遂げ、至福エクスタシーの状態で完結するものだ。

 ここではセックスが実は体でなく脳で行う行為とも捉えられているようで、それはオート・エロティシズム、つまり自慰行為と重なるようにも思えるのだが・・・。

 一方、左道は瞑想のみによらず、男女が実際に交合しながら性エネルギー・シャクティを覚醒させ神と繋がるもので、宗教的にタブーとみなされていたセックスが神人合一のための核心と捉えている。

古代印度の性愛書『カーマ・スートラ』

 古代インドの性愛書の頂点にある、『カーマ・スートラ』は、1250節で構成されている。

 超感覚の拡張を得るためには、単なる瞑想に勤しむのではなく、濃密な精神的な交歓こそが重要であり、愛と性は超道徳的なもの、倫理を超越したものという思想がある。

『カーマ・スートラ』には、性愛行為にまつわる様々な実践の方法が詳解されており、交接の相手をいかに見極め、そして仕留めるか、セックスができそうな相手の女性を、見分ける方法なるものも示されている。

 例えば家の戸口に立つ女、男を見つめている女、横目で男を見る女、階級や才能が夫より上の女、虚栄心の高い女、どうしても亭主を好きになれず理想の男性を求めている女、といった具体的な項目は41にも及ぶ。

 また、性的に惹かれる相手を攻略するための「誘惑」については、積極的に相手を攻めて手に入れるのではなく、策を弄して最終的に相手の気を惹いた上で獲得すべし、とある。

 戦略的なプロセスとして、まずは何らかの口実を設けて触れ合う・接触。次に女性から男性とアプローチする方法・媚態。

 ほかに人目のないところでお互いに触れ合う摩擦。体を押し付け合う圧迫。そから先の段階として接吻、爪痕(そうこん)、歯咬(しこう)。

 そしていざ、交接の前段階の行為には数多くの名称がある。

 まとわりつくように男性に手足を絡ませる「つる草」。

 女性が一方の足を男性の足に乗せもう片方の足を太ももに巻き付け同様に腕を背中に巻きつけて叫び声を上げる「木登り」。

 ベッドに伏しお互いにしっかり抱擁する「胡麻と米」。

 情欲のままお互いを貪り互いの体に入り込み溶け合うように抱擁する「牛乳と水」といった交接の段階を示している。

 性交において男性がなすべきテクニックとして、ペニスの先端だけを出し入れする「嵌入(かんにゅう)」。

 挿入したら根本を持ち膣の内部をかき回す摩擦および「攪拌」。

 ペニスで膣の上部をこする「貫通」。同様に下部をこする「摩擦」。

 突き上げそのままにする「圧迫」。

 ペニスを抜かずに膣口まで引き強く突く「一撃」。

 膣壁の上下を突く「猪の一撃」。

 膣壁の左右に突く「雄牛の一撃」。

 ペニスを小刻みに突き動かす「雀の戯れ」などに分類される。

 女性側の能動的背愛行為として騎乗位となって行うテクニックとしては、膣でペニスを挟んで締め付ける「鉗子(かんし)」。

 セックスの最中に腰を回転させる「独楽」、あるいは結合したまま体を動かす「回転」といったものが詳解されている。