眼に見えない霊的肉体と身体器官

 古代、エジプト、中国、インド、そして中世ヨーロッパにおいても目に見えない肉体と、その身体器官の存在が認識されてきた。

 人には目にみえる肉体と、それに重なる霊的肉体と、それに付随する霊的器官は、物質的な体と精妙に重なることで、相互に影響を及ぼし合い、修道により、霊的器官が活性化させることが可能と考えられてきた。

 タントラではこれらの不可視の身体器官が、誰にでも例外なく備わっており、通常は認識されることがなく、眠っている状態にあると捉える。

 霊的器官は背骨に沿って存在するといわれるが、現代においても鍼灸でいうツボや経絡が物質的な肉体のどこを切り裂いても現れないのと同様に、眼に見えない霊的な肉体や身体器官は、通常の3次元的な医学では感知されることはない。

 タントラの身体観は、身体の各器官および身体を還流する気の呼称として、脊髄付近の中央気道のスシュムナー・ナーディを中心とし、左右にあるイダ管、ピンガラ管といった螺旋状の気道が2本。それに7つのエネルギーセンターのチャクラがある。

 チャクラはサンスクリット語で車輪、光の輪、回転する渦、円盤を意味する。

 それは背骨に沿う中央気道上に存在するエネルギーセンターで、人の生命エネルギーであるプラーナ(呼気)が通ることで回転し活性化する。

 霊的身体器官は実際には見えないため、タントラの瞑想ではそれらをありありとイメージし、体感することが修道の最初の課題となる。

 第1チャクラであるムラーダーラー・チャクラは肛門と性器の間にあり、普遍的なすべての存在の根底にある創造エネルギーを司る。

 目には見えない「性エネルギー」であるシャクティは第1チャクラに眠っている。

 人間は普段、プラーナ(呼気)によって生命維持がなされており、シャクティ(性エネルギー)は眠っている状態にあり、通常、物質的な肉体に直接的な影響を及ぼすことはない。

 シャクティは何のために存在するのか。

 チベット密教ゲルク派『死者の書』によれば、シャクティは死にあたって魂が肉の体を脱ぎ捨てるときに目覚める根源的な魂とされ、死期が迫り生命活動が衰えていくに従い目を覚ます。

 そして脊髄に添って存在する霊的気管である中央脈管(スシュムナー)を駆け上がり、宇宙生命へと還るという。

 タントラの実践とは、それを人間が生きている状態で性エネルギー・シャクティを眠りから覚まさせ、霊的身体器官チャクラを駆け昇らせて、活性化させるというものである。

 流れとしてはシャクティが第1チャクラであるムラーダーラー・チャクラから、各チャクラを刺激しながら上昇し、頭頂の第7チャクラのサハスラーラに性エネルギーが到達すれば、直観力や創造力、予知や透視能力といった一般に超能力と言われる能力を思いのままに獲得することが可能と考えられている。

 だが、そうした超感覚は副次的なもので、最終的には自我を超越し宇宙意識と同化する。

 つまり、神との合一、悟りの境地をタントラは目指すのである。