1936年に横綱に昇進する。後輩で歴史に名を残す横綱・双葉山について「俺が強くしてやった」と語るのが持ちネタだったが、実力では双葉山の完全な引き立て役で、全く歯が立たなかった。

型破りな横綱の素顔

 横綱在位は11場所(当時は年2場所制)、87勝55敗22休という成績を残した。現在の1場所15日制に換算すれば、平均して9勝6敗程度の成績だ。

 場所を皆勤して負け越す不名誉もあり、長い大相撲の歴史を通じて「最弱横綱」と揶揄されることもある。ただ、息子の坂田和夫は朝日新聞のインタビューに「皆勤負け越しは、途中休場して土俵から逃げなかった証し」と父を擁護している。

横綱男女ノ川の土俵入り、1938年5月(写真:共同通信社)
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 現役時代から型破りな一面を見せていた。自動車がまだ高価な時代に誰に相談することもなく車を買い、自ら運転して場所入りした。戦時下にガソリンが手に入らなくなると自転車で国技館に通った。

 現役の横綱ながら大学の聴講生となり、巡業を休んで講義を聴講するなど、力士らしからぬ行動が目立った。