「生きている」を数学的に定義したい
クマムシとは、実に興味深い生き物である。また乾眠のメカニズムを解明できれば、いろいろ応用もできそうだ。とはいえクマムシの研究成果を安易に応用するつもりはないと、荒川氏は言い切る。
「何かの役に立てるのが悪いとは思いません。実際、私も極限環境耐性を調べるためNASAと共同で基礎研究に取り組んでいます。何より私は基礎研究を大切にしたいのです。何かへの応用といった短期的な視野ではなく、もっと長い視点で取り組む研究を疎かにしてはいけない。結果的に人類に大きく貢献した研究を振り返ってみてください」
「カルノーサイクルの思考実験が、結果的には熱力学の発展から内燃機関などの実用化につながりました。あるいはアインシュタインの研究なども、一体何の役に立つのかといわれながら、その成果がなければどうなっていたか。いまだにロケットは飛ばず、グーグルマップでの経路探索なども実現していない。基礎研究はロングスパンで考えるべきものであり、短期的な成果ばかりを求めていては、科学の進歩はありません」
ではクマムシの研究を進めれば、その先に何が見えてくるのか。
荒川氏が見据えているのは、生命そのものの定義だという。たしかに生きている状態と死んでしまった状態の中間に位置するクマムシの乾眠は、生と死を考える重要なポジションといえる。
「これまで生物の状態には、生と死しかなかった。ところがクマムシのおかげで、その中間領域であるクリプトビオシスが明らかになった。たとえばエントロピーを切り口として考えれば、生きている状態はエントロピーを低く保てている状態で、閾(しきい)値を超えると死に至る。クリプトビオシスは、エントロピーでみても生と死の中間レベルであり、上がりきっていないから水を掛けると元に戻れる。エントロピーを変数として突き詰めていけば、生命現象を数学的に記述できるかもしれません」
生命現象を数式で定義する。荒川氏の基礎研究がゴールに達したとき、その成果は生命に関わるあらゆる分野への応用が可能になるはずだ。
「Scienc-ome」とは
新進気鋭の研究者たちが、オンラインで最新の研究成果を発表し合って交流するフォーラム。「反分野的」」をキャッチフレーズに、既存の学問領域にとらわれない、ボーダーレスな研究とイノベーションの推進に力を入れている。フォーラムは基本的に毎週水曜日21時~22時(日本時間)に開催され、アメリカ、ヨーロッパ、中国など世界中から参加できる。企業や投資家、さらに高校生も参加している。
>>フォーラムへ
竹林 篤実(たけばやし・あつみ) 理系ライターズ「チーム・パスカル」代表
1960年、滋賀県生まれ。1984年京都大学文学部哲学科卒業、印刷会社、デザイン事務所を経て、1992年コミュニケーション研究所を設立し、SPプランナー、ライターとして活動。2011年理系ライターズ「チーム・パスカル」設立。2008年より理系研究者の取材を開始し、これまでに数百人の教授取材をこなす。他にも上場企業トップ、各界著名人などの取材総数は2000回を超える。著書に『インタビュー式営業術』『ポーター×コトラー仕事現場で使えるマーケティングの実践法がわかる本(共著)』『「売れない」を「売れる」に変えるマーケティング女子の発想法(共著)』『いのちの科学の最前線(チーム・パスカル)』