この3つの独立リーグの設立には、いずれも石毛宏典氏が関与している。後に独立リーグの現場から離れたが、石毛氏が現在に至る「独立リーグの生みの親」だったのは、間違いないところだ。石毛氏の知名度と行動力がなければ、独立リーグは存在しなかったのではないかと思われる。
想像を超えていた経営の難しさ
ただ、発足当初から3つの独立リーグは、経営的に行き詰った。経営陣が交代したり、チームそのものが存続できなる事態も起きた。なぜ、そうなったのか?
その原因、背景はリーグ、球団によって異なるが、端的に言えば「ビジネスモデル」が存在しなかった、ということになるだろう。
先行事例として、日本のプロ野球(NPB)があるが、NPB球団の大部分は、日本を代表する大企業の連結子会社になっている。収支が赤字になれば、親会社が補填をする。補填費用は「広告費扱い」となり税制上優遇される。
また、一軍の公式戦は地上波やBS、CSなどで毎日のように中継される。
21世紀以降は、観客動員も100万人を大きく超え、経営規模も大きくなった。多くの観客動員を背景に、球場内の物販や飲食、球場内の広告掲示をするスポンサーなどの事業も広がった。そしてファンクラブを核とするマーケティングも展開していた。
初期の独立リーグの経営者は、こうしたNPBの「ビジネスモデル」のミニチュア版を想定していたと言ってよい。
しかし、多くの独立リーグ球団は、地域の中小企業の支援を受けて入るは親会社のない「独立採算」だった。資本力がないために、球場使用料や試合の運営費、さらには選手への報酬の支払いなどの資金繰りに行き詰る球団が続出した。
何より、独立リーグは「お客が入らなかった」。設立当初の独立リーグの多くは2000~3000人の観客動員を想定していたが、実際には多くて1000人程度しかお客が入らなかった。当然、場内の物販、飲食の売り上げも想定を大きく下回った。さらには、広告効果を期待したスポンサーの期待にも応えられなかった。
日本で独立リーグが誕生してから約10年の期間は「独立リーグとは何で、どんなビジネスモデルなのか?」をリーグ、球団が模索し続けた時間だったと言えよう。