長者の接待売春
鎌倉時代の頃、各地に長者というものが存在した。それは土地の長、旧家、名望家、富豪の主人を指す。
貴人や高位の武将などが旅した時には、道中の途中、この長者の家に泊まる風習があった。
長者としては当時、貴い身分の御仁に対し、最大の敬意と好意を示すために、その娘や妻女を侍らせて心尽くしに努めた。
江戸時代中期の旅行家・百井塘雨著、『笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)』には、「旅客の労を慰めんと、宴興を設くることなれば、婦人出て饗せり。某呂役みな貴孫公子なれば歌舞をも手馴、和歌をも詠得、才あって艶なる女性を選びけり」とある。
長者には貴賓接待のために、時に我が娘や妻女に夜の枕席の交接・伽までさせる、「妻貸し」という、接待売春の風俗があった。
それは貴人や高位の武将に対し、大いに歓待することが、長者の礼でもあり名誉だったことによる。
また、妻女の中には、「田舎住まいの女性が抱く、特に都の貴公子に憧れ」もあり、情けをかけられることは、自身の「享楽」と「悦び」とする女性もいたようだ。
やがて長者の家では、貴人を接待する専属の女を置き、娼家のような仕組みの家も出現する。
そうした家が5人10人と女を抱えて客を迎えるようになっても、当初は武家とか土地の有力者が主な相手で、女は馴染みの客を自家に迎えても他の場所へ出かけて売春することはなかった。
鎌倉時代中期以降、これが一つの業態となって、遊女を置いて客を接待する「好色家」「傾城屋」といった売春宿へと発展する。