「白皙の好男子」と伝わる不知火光右衛門

 2024年11月、NHKの名解説で親しまれた第52代横綱の北の富士勝昭さんが82歳で亡くなった。現役時代は美男な上に取り口が派手だったこともあり、実に華のある力士だった。

 いくら強くても、顔が鬼瓦みたいな力士ばかりでは相撲興行は盛り上がらない。プロ相撲が何百年と人気を維持してきた背景には、北の富士のようなイケメン力士たちの存在が欠かせなかった。3回に分けて、そんなイケメン力士を紹介する。

(長山 聡:大相撲ジャーナル元編集長)

 江戸の頃より顔立ちのいい力士は存在したのだろうが、錦絵でその男ぶりを判定するのは難しい。写真技術が長足の進歩をみせた幕末以降の美男力士を、個人の独断で列挙してみた。ただしお相撲さんの場合は強さが伴ってこそ、その美貌がより映えるのは間違いなく、三役以上の力士に限定した。

 なお、琴欧洲や把瑠都などの外国人力士にもイケメンが多いが、大相撲は日本の伝統文化という面もあるので、今回は和製の力士に限定させていただいた。

 では初回は「幕末〜昭和初期」に活躍したイケメン力士を見ていこう。

【ほかの回を読む】
②イケメン力士列伝「昭和中期〜後期」を読む
③イケメン力士列伝「平成〜令和」を読む

酒・女・バクチで身を持ち崩した源氏山

不知火光右衛門(横綱)

 現在の「不知火型」の横綱土俵入りの創始者と言われているが、本当はどんな形でせり上がっていたかはわかっていない。

「彼は白皙(はくせき)の好男子であり、よく錦絵の画材となって、当時はもちろん、後の世までもてはやされた」(彦山光三「横綱伝」)と伝わる美男。「白鶴(はっかく)の翼を張れるごとし」と形容された横綱土俵入りも評判を呼び、錦絵も飛ぶように売れたという。

不知火光右衛門

 不知火は文政8年(1825)3月、熊本県菊池郡大津町に生まれた。同郷の先代不知火(諾右衛門)の弟子となり、大阪相撲で修行。のちに江戸へ出て境川門下となる。嘉永3年(1850)11月場所に二段目に付け出され、安政3年(1856)11月場所に新入幕。文久2年(1862)2月に大関昇進し、翌3年10月に36歳で横綱免許を受けた。

 177cm、120kg。柔らかい体と相撲上手で知られ、特に右を差したら盤石。出足早に相手を圧倒し、機に応じてすくい投げや、巻き落としたりと名人型の力士だった。

 ただし、強豪横綱だった陣幕には0勝13敗2分と全く歯が立たないなど、力量抜群とは言いがたい面もあった。横綱まで登り詰めることができた背景には、超人気力士の上、相撲の家元・吉田司家が肥後細川家の家臣であり、藩主の強力な後ろ盾があったことも大きかったと思われる。持久力もあり、横綱免許後も7年間土俵を務め、43歳で引退している。

綾瀬川山左衛門(大関)

〽相撲じゃ陣幕、男じゃ綾瀬、ほどのよいのが朝日嶽

「明治の初め頃に俗謡にまで唄われ、きりっとした風貌で人気があったのが綾瀬川だ。当時は、仕切り直しの度に水をつける力士がほとんどだったが、「力水は末期の水に等し」と1度しか水をつけなかったという。後年の双葉山もこの態度にならったと言われている。

綾瀬川山左衛門

 綾瀬川は天保6年(1835)10月に大阪で生まれた。はじめは大阪相撲に参加したが、文久元年(1861)に江戸に出て10月場所で幕下二段目に付け出される。明治元年(1868)11月場所に新入幕を果たし、明治4年の2場所は小結で土つかずの成績を挙げ、5年4月場所に大関に昇進する。

 綾瀬川は、明治6年に腐敗した相撲界を改革しようとした高砂の情熱に打たれ、行動を共にすることを誓ったが、相撲会所(後の相撲協会)に寝返った。これがのちに相撲界の実力者になる高砂の激憤を買ってしまうことになった。

 173cm、109kg。体格には恵まれなかったが、気迫十分で土俵態度は堂々としており、上手投げが得意だったという。風流のたしなみもあり文筆にも優れていた。次男の栗島狭衣は、文士で相撲評論家としても高名であった。映画草創期の女優・栗島すみ子は、孫にあたる。

源氏山頼五郎(関脇)

 源氏山は元治元年(1864)2月24日に現在の青森県北津軽郡に生まれた。

 明治16年(1883)5月場所に初土俵。22年5月場所に幕内へ昇進したものの、その後2度も脱走。帰参して29年5月場所に関脇の座を射止めた。

 青森巡業中に暴れていた牛の角を握ってひねり倒したというエピソードがあるくらいの怪力。“白無垢(しろむく)鉄火(てっか)”と呼ばれた相撲は左四つになるとテコでも動かぬ型を持っていた。

源氏山頼五郎

「色の浅黒い、苦み走った好男子で、大関になれる素質を持っていながら、ほとんど稽古をしなかったため関脇で終わった」(増島信吉「相撲人国記」)

 174cm、98kgと当時としてはバランスの取れた体。大変な人気力士で、大川端を歩いていると、ぞろぞろと人がついてきたという。全国各地に妾(めかけ)の存在があり、酒、女、バクチで身を持ち崩した。

 人気におぼれて素質を生かし切れなかった力士の典型と言っていいだろう。