「遊び」とは何を意味したのか

 酒宴の席などには必ず女が出て歌い舞うのは、世界中、昔からどこでも行われてきたことだ。

 我が国において飛鳥時代から奈良時代の「遊び」という言葉は「歌舞音曲を演ずる」という意味であった。

 上代の貴族連中が主演を催した時には、女房など同じ地位階級の人々の妻妾とか、その他縁故のある女のうちから演技が巧い、艶容な美女が招かれて歌舞を行なっていた。

 遊女を古くは「あそび」「あそびめ」「あそびどり」「あそびども」「あそびもの」その他「遊行女婦(うかれめ)」「遊君(ゆうくん)」などという。

 それは、客席に出て酒間を斡旋し、遊興を助ける接待婦であり、彼女らの品格も生態も、娼婦ではなかった。

 ところが、やがて一般のいわゆる身分の低い女子でも、歌や舞の上手な女性が招かれ、貴族階級者の席に列するようになると、やがて業態化することになる。

 宴席に招かれて歌舞を行うことを、専門の生業とするような女たちは「遊び女」と称された。

 とはいえ、当時は現在のように定まった料金が設定されていたわけではない。

 祝儀は女の技能や労を賞して絹を与えたり、着ている上羽織を脱いでやったり、持ち物を記念に贈るなどの報償を、遊女らは受け取るといった単純なものだった。

 贈り物、祝儀、引き出物のことを「花」「纏頭(てんとう)」という。

 当時、人に金品を送る時には、草木の花の枝に添えて送ったために「花」と称するようになった。

 また人から衣服などをもらったときには、これを頭にいただく風俗があった。

 それが後に、歌舞演芸などした者に、褒美として与える衣服、金品を「纏頭(てんとう)」と称するようになった。

 宴席に女を招き加えて歌ったり舞わせたりと、「遊び」とは「歌舞音曲」といった娯楽的なものだった。

 だが、男はただその色気と艶姿を眺めて悦に入れば、そこに性的な欲望が生じることは当然、起こりうる。

 そこで情緒的な気分が生じ、男女の情事への発展となったとしても、それは任意的な愛情の発展に伴う二義的なものということもできる。

 そうした宴席における風情の末に、男女が交接に至るのは、単なる性欲の発散を目的としたものとは、多分に赴きを異にしているからだ。