スズキはトヨタに2度助けられた
修氏はいずれ鬼籍に入ることを悟り、今の盤石なスズキの経営を崩さず、発展させるためにはトヨタとの協力関係をさらに強化することが最善策の一つと見ていたのであろう。トヨタ側にも修氏が存命中には遠慮のようなものがあったが、これから両社はさらに歩み寄るのは間違いない。
俊宏氏は15年に社長に就任しているので、25年に就任丸10年となる。修氏退任後に空席となっている会長に就いても年齢的に不思議ではない。
後任の社長には、石井氏が昇格する線が有力と見られる。それを契機にトヨタはスズキへの出資比率を高めるのではないか。
歴史的に見てもトヨタとスズキの関係は深い。
スズキは初代社長の鈴木道雄氏が1909(明治42)年、現在の浜松市内に鈴木式織機製作所を設立したことが原点。トヨタグループの始祖、豊田佐吉氏も浜松市に隣接する湖西市出身で自動織機の開発・販売で財を成し、それが自動車進出の原動力となった。創業家が同郷で、織機から自動車産業に繋がる点も共通する。
1950年、スズキでは資金繰りに窮して大規模な労働争議が発生した際に豊田自動織機に融資を依頼したことがある。1975年には、スズキの2サイクルエンジンが排ガス規制をクリアできず、専務だった修氏は、当時トヨタ社長の豊田英二氏に頭を下げ、軽の競合相手であるトヨタグループのダイハツ工業からエンジン供給を受けた。
スズキは2度トヨタに助けてもらっている。