タワマン人気に懐疑的なワケとは?

 私がその将来性に疑問を感じるのは、こうした街には「地歴」が存在しないからである。

 地歴とは土地の歴史のことである。土地にもいろいろな背景があり、人々が繰り返し居住してきた土地もあれば、森や林、川べり、沼地などあまり居住に適さなかったところもある。

 その土地がこれまでどのような姿であったかを知ることは、実は不動産を見るにあたってとても大切なポイントだ。

 高度経済成長期から平成初期にかけて郊外で造成された新興住宅地には、かつて人々が住んだ地歴がなかった。もともと人が住んでいなかったのには、それ相応の地理的な理由があるはずだが、台地を切り崩して樹木を切り倒し、沼地を土砂で埋める、コンクリートで固める、など人為的な作業を加えたうえで、住宅地としてデビューさせたわけだ。

ニュータウンは「ふるさと」と感じづらい

 地歴のなかった土地に「人が住む」という新たなページが加えられた結果、「一代限り」の街としてその多くが衰退への道をたどっていることは、本書で述べている通りだ。

 街としての持続可能性は、一代では結論が出ない。その地で育った子どもたちが、街に対してどれだけの愛着/プラウドを感じるかにかかっているからだ。残念なことに、そこで育ったはずの多くの子どもにとって、自分が大人になって「ふるさと」と感じることができるような存在になりえていないニュータウンが大半だ。

 地歴があり、様々な年齢構成の人々が暮らす街で育つ場合とは異なり、彼らは同質性の高い住民が一斉に集住する街で育っている。街のごく一部、周囲にいる自分と同じような年齢、家族構成の人々としか関わってこなかったせいで、街自体には愛着が湧きにくい側面もある。

 翻って、現代のタワマンエリアはどうであろうか。