父・ハマコーを反面教師にした息子、それでもしっかり受け継いだもの

「ヒソヒソヒソ、ヒソヒソヒソ」扇子で口元を隠しながら話をするのは通称“山拓”こと山崎拓とハマコー先生の息子・浜田靖一議員。

議事堂でヒソヒソ話をする強面の2人、浜田靖一氏と山崎拓氏(写真:橋本 昇)
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 浜田靖一は1993年、父の政界引退に伴って地盤・看板・カバンを引継ぎ衆議院議員となった。

 1999年、自民党総裁選の出馬に向け推薦人集めに苦労している山崎拓氏の推薦人になろうとすると、父ハマコーから「てめえ、頭狂ったんか」と言われたという。

 彼はハマコーの息子ゆえに、そしてまた風貌も父親譲りでいかついために「武闘派」のイメージを持たれがちだが、実は父親とはまったく正反対の物腰の柔らかな人物である。

 もちろん親子でも性格は異なって当たり前なのだが、父親のやらかし、しくじりの同じ轍は踏むまいと心に決めているかのようだ。

 よく学び、品良く、人間関係に気を使い、後輩議員からの人望も厚い。趣味も「ロックバンド」と、父親の「浪花節演歌」とは好対照。ハマコー先生の十八番は自作の「おかあさん」で、会合ではいつもマイクを手にあのダミ声を披露していた。

 政治家としての父親を間近で見て育つ2世議員にも彼らなりの“哲学”が求められるのは確かだ。父親には反面教師としての役割もある。

 浜田靖一議員はその功となった。父親同様、無派閥を貫いているので、実力・見識を評価されてのことだろう。

 その後も党の要職を歴任し、2022年に岸田内閣で再び防衛大臣に任命された。

 その彼にも父親から受け継いだDNAがある。彼の「義侠心」と「突破力」は父親譲りだと評判だ。筋を通す姿は党内でも有名だ。そこには昭和の党人派の名残りが感じられる。

 彼は過去の衆議院選で当落ギリギリのピンチを父ハマコーの土下座で救ってもらった事がある。昭和の親父は息子の当選のために有権者に土下座したのだ。