「木更津のダニ」から代議士に
浜田は1928年千葉県君津で生まれた。実家は大地主で小学校は優等生だった。しかし、中学時代に兄の戦死で心が傷つきグレ始める。さらに父は博打と酒に溺れ、一家は没落した。
木更津中学の時、旧海軍パイロットに憧れ予科練(海軍飛行予科練習生)に応募したが不合格、海軍工廠の軍用機部品工場に入ってそのまま終戦。
1946年日大に入ったが喧嘩や芸者遊びに明け暮れ、とうとう24歳で半グレからヤクザになる。「木更津のダニ」と呼ばれ、喧嘩で人を刺し刑務所に放り込まれたこともあるという。
出所後、心から反省したかは知らないが地元で青年活動に入り、そこで大物右翼の児玉誉志夫や笹川良一と知り合い、彼らの援助で千葉県富津町議員に立候補し当選したのが彼の政治家人生の始まりだ。そして、児玉や笹川からの金銭的バックアップもあり1969年の衆議院選挙で初当選、以降1993年に引退するまで衆議院議員を7期務めた。