(3)米中国交正常化と米台関係
長期化するベトナム戦争の打開策を模索した米国は、中国本土の共産党政権との関係を重視する姿勢に転換、交渉を開始した。
1972年にはリチャード・ニクソン大統領の訪中が実現し、米中は事実上の相互承認に踏み切った。
その後、1978年12月15日、米国は「米中関係正常化に関するアメリカ合衆国声明」を発出し、1979年1月1日に米中国交正常化を実現した。
これによって米国と台湾との外交関係を終了することとなり、翌1980年、米華相互防衛条約は破棄された。
米国と台湾は、国家間の関係はなくなったが、関係を断絶させたわけではなかった。
米中国交正常化と同じ1979年4月10日に米国は国内法として「台湾関係法」を制定、台湾を「政治的な実体」と認め、実質的な関係を維持し、台湾の防衛に必要な武器を有償で提供し続けた。
ところで、米中国交正常化と米台国交断絶を巡り、3つの重要な「コミュニケ」が発表されている。
▲1972年2月、ニクソン米大統領は周恩来総理の招きを受けて中国を訪問、米中交流の扉が再び開かれた。
ニクソン大統領訪中期間中の2月28日、米中双方は上海で「米中共同コミュニケ」(上海コミュニケ)を発表した。
▲1975年12月、ジェラルド・ルドルフ・フォード米大統領が訪中した。
1978年12月16日、米中両国は「米中の外交関係樹立に関する共同コミュニケ」を発表した。
1979年1月1日、米中両国は正式に大使級の外交関係を結び、米国は台湾とのいわゆる「外交関係」を断絶し、年内に台湾駐留米軍を撤退させ、米台の「米華相互防御条約」を終了させることを宣言した。
▲1979年1月、中国の最高指導者の鄧小平氏がジミー・カーター米大統領の招きを受けて米国を訪れ、米中関係史の新たな一頁を開いた。
1982年8月17日、両国政府は「米中共同コミュニケ」(中国側は「八・一七コミュニケ」と呼ぶ)を発表した。
同コミュニケ作成の事前交渉で懸案事項となったのは、一つは米国の対台湾兵器売却を継続すること、もう一つは台湾問題の平和的解決について表明することであった。
中国側としては、これらはいずれも最初から譲れないと主張していた。
しかし、鄧小平氏は「一番重要なのは誤ってこの機会を逃がさないことだ」と述べ、米国との国交正常化へと進むことを決断した。
そして、台湾問題の平和的解決については、1982年8月17日の「米中共同コミュニケ」では、「米国政府は,1979年1月1日に発出された『台湾同胞に告げる書』および1981年8月30日に中国から出された8項目提案に示されている台湾問題の平和的解決のため努力するとの中国側の方針を理解し、評価する(出典:外務省HP)」と記載された。