このように習主席は、バイデン大統領を前に、大演説をぶったのだった。その間、バイデン大統領は、時に眠そうな目をしばたいたり、眠気をそらすためか、メモを取ったりしていた。両脇のサリバン補佐官とブリンケン国務長官は、前述のように、まるで石像と化していた。

同時通訳のイヤホンをつけ習近平主席の話を聞く(左から)ブリンケン国務長官、バイデン大統領、サリバン大統領補佐官(写真:ロイター/アフロ)
拡大画像表示

思い出話を披露しはじめたバイデン大統領

 一方、バイデン大統領の発言はと言えば、両首脳の「思い出話」を開陳したのだった。両者の邂逅(かいこう)は、2011年6月にローマで行われたイタリア統一150周年記念式典の場だったが、その2カ月後の8月に、バイデン副大統領(当時)が6日間、習副主席(当時)の招きで訪中した際に、親密になった。

「あなたと私が二人きりで過ごした時間を(周囲に)数えなければならない。あなたと一緒にチベット高原(実際は四川省都江堰)に行ったこと、北京に行ったことを思い出す。私たちは世界中で会った。最初は副大統領として、次に大統領として。

 私たちは常に同意しているわけではないが、私たちの会話は常に率直だった。私たちは決して冗談を言ったことがない。かつ私たちは互いに対等だった。これらは非常に重要なことだ。

 私たちのこうした会話は誤算を防ぎ、両国間の競争が紛争に発展しないことを保証し、紛争ではなく競争であることを保証するものだ。そして、あなたがいま指摘したように、それが両国の国民に対する責任であると同時に、全世界の人々に対する責任でもあるのだ。

 米中関係は、世界で最重要の二国間関係だ。この4年間、私たちはそうした関係を、両国が持ち続けることが可能だということを証明したのだ……」

 その間、習主席はじっと無表情で聞いていた。この方は、本当に公の場で感情を表に出さない。

 今回はバイデン大統領も、11月20日に82歳を迎える高齢のためか、無表情が目立ったが、そんな中で、習主席が発言中に、頬を緩ませて習主席を凝視した「ひととき」があった。それは、憐憫(れんびん)の情に思えた。

「アンタ、オレがいなくなったら大変だな……」