しかし、2000年代に入ると、急速に豊かになっていく中国大陸のほうが、台湾人アーティストにとっても大きく収入が見込めるマーケットになっていった。
李宗盛は台湾では「外省人」と呼ばれる、国共内戦後に台湾に来た大陸系移民の家系に当たる。当時すでにベテランの域に達していた彼にとっては、そうした出自も相まって中国で公演する機会も増えていき、やがて中国大陸が台湾に代わる居住の場になった。
中国と台湾はビジネス交流を含めて密接度を高めていったが、音楽業界での往来も劇的に増加していて、一時は、台湾でヒットしたアーティストが旬を過ぎてくると中国へ活動の場を移すという、(少し乱暴な言い方かもしれないが)「出稼ぎ」現象が続いていた。大陸のマーケット規模は人口が2000万人規模の台湾よりも約70倍にもなるので、広い広いブルーオーシャンだった。
中国大陸にしても、当時は自由な気風の中でアーティストを産む素地が整っておらず、海賊版の音源から流れるのは台湾人歌手の歌ばかり、という時代が続いたこともあり、中国のテレビやステージに登場する台湾人アーティストたちは重宝されたわけである。
一方で、アーティストたちが台湾と中国のイデオロギー争いに巻き込まれる事態も、往々にして起こった。例えば張惠妹は、民進党政権が生まれた2000年、陳水扁総統の就任式で中華民国国歌を披露したばかりに、中国当局から不興を買い、しばらく中国での活動を禁止されたこともある。中国でビジネスをする限り、当局の逆鱗に触れる言動や行動は控える、という不文律の下、台湾人アーティストたちは大陸で活動を続けていくことになる。
そして今、90年代にヒット曲を出した多くの台湾人シンガーたちが、台湾のテレビに登場することはますます少なくなっている。これは、多くのベテランシンガーが現在も中国に住み、中国のテレビやステージに出演するという状況が続いていることを意味している。
「出稼ぎ」から「海外巡業」へ
しかし、2000年代以降は音楽CDの販売が頭打ちになり、アーティストたちは、ライブや公演などの活動で収益を確保するビジネスモデルに頼らざるを得ない時代に突入した。台湾でもそんな背景から、最近はバンドなどグループでライブ活動をするアーティストが主流になっている。すでに武道館公演を3回(2015年、2017年、2018年)果たした五月天(メイデイ)を始め、今年10月から11月にかけて、告五人、生祥楽隊といった台湾人グループがライブハウスなどで日本公演を果たしている。
一方で、中国ではオーディション番組を通してローカルの新人シンガーが発掘されたりしている。こうした番組では台湾のベテランアーティストたちが審査員として活躍することも多い。台湾からの「出稼ぎ組」がローカルアーティストへバトンタッチをしていく過渡期なのだろう。
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