出でよ、エルコンドルを超える逸材

 1999年10月3日の凱旋門賞激走を最後に、エルコンドルパサーは馬場を去ります。

 凱旋門賞の翌月、11月28日、ライバル馬モンジューは東京競馬場で行なわれたジャパンカップに参戦、あのエルコンドルパサーを破った馬ということで話題を呼びましたが、パリからの遠距離遠征の影響で体調が整わず4着に沈みます。

 この日、ライバルだったエルコンドルは引退式のため昼休みに本馬場に登場、凱旋門賞出走時のゼッケンをつけファンに最後の雄姿を見せてくれました。

 私を含め多くのファンが「引退せずに、おまえもジャパンカップに出て来いよ」と思ったことでしょう。

 エルコンドルは数え5歳で引退後、種牡馬として大きな期待を持って迎えられましたが、残念ながら2年後には腸捻転で死亡、それでも3頭のG1馬を出し立派な血脈を残してくれています。

 スピードシンボリの参戦から55年、エルコンドルの激走から25年、冒頭のシンエンペラーまで32頭の馬が35回挑戦していまだ手の届かぬ凱旋門賞という頂き。

 今年も果たせなかった夢のレースですが、いつか必ず、というより案外、来年あたり優勝馬のウイニングランが見られるかもしれません。

 特にこれといった根拠があるわけではありませんが、世界ランク1位のイクイノックス(昨年12月に引退)を輩出した日本競馬のレベルなら、その日が来るのはそう遠くない、私はそう思っているのです。

 私の仕事場にはシンボリルドルフの1985年カレンダーとともに、エルコンドルとサイレンススズカの写真パネルが飾られています。独断ではありますが、私がリアルタイムで見てきた競馬歴の中で、この3頭が数え5歳時の実力馬歴代ベスト3だと思うからです。 

 エルコンドルは数え4歳時の秋、1998年の毎日王冠で1歳上のサイレンススズカと対戦。2馬身半差で2着に敗れていますが、エルコンドルが日本で負けたのはこのときだけです。

 このレースにはもう一頭エルコンドルと同年齢で無敗だったグラスワンダーも出走、G2レースにもかかわらず13万人ものファンが東京競馬場に押し寄せた「史上最高のG2レース」として、そしてエルコンドルが日本の地で負けた唯一のレースとして、長く競馬ファンの記憶に刻まれています。

(編集協力:春燈社 小西眞由美)