凱旋門に残したエルコンドルの蹄跡
スピードシンボリから30年後、1999年10月、天馬のような日本馬がパリに降り立ちます。エルコンドルパサーです。
エルコンドルパサーという名は、音楽にくわしい方はおわかりでしょうが、南米ペルーの歌をサイモン&ガーファンクルがカバーしたことで知られる『コンドルは飛んでいく』のスペイン語(El Cóndor Pasa)です。父馬がキングマンボという名だったため、マンボから南米の音楽を連想、『コンドルは飛んでいく』へと至ったことのようです。
エルコンドルパサー(以下、エルコンドルで統一。かつて親しみをこめてそう呼んでいたので)が出走した同10月3日の第78回凱旋門賞は歴史に残る名勝負となりました。
14頭立てのこのレースには例年以上に欧州競馬の強豪が集結、特にそれまで7戦6勝、エルコンドルより1歳若い地元フランスの代表馬モンジューが出走するというので注目度がさらに増しました。
含水量が半端でないかなりの不良馬場の中、好スタートを切ったエルコンドルはそのまま4コーナーまで先頭を行きます。ゴールまで残り100メートルになったあたりからです。中団から抜け出てきたモンジューとのマッチレースとなり、最後は惜しくも半馬身差でモンジューの軍門に降(くだ)りました。ただし、3着馬との差は6馬身もあり、この2頭がいかに傑出した実力馬だったかがわかります。
エルコンドルが負けた相手のモンジューが背負った重量(斤量)は56キロ、1歳年上のエルコンドルのほうは3.5キロ重い59.5キロという条件でした。
競馬の世界では斤量が1キロ違うとゴールで1馬身の差が出ると言われているので、3.5キロだと3馬身半の違いになります。
今さら「れば、たら」を言っても仕方ありませんが、勝ち馬モンジューとの着差は半馬身だったので、同斤量での競馬だったら問題なくエルコンドルに勝利の女神が微笑んだことでしょう。あいにく四半世紀が経過した今になっても、不公平さに関する女神からの謝罪の声は聞こえてきませんが。
なお、「エルコンドルパサー、頑張りました!」の実況が泣かせるレースの画像はYouTubeでご覧になれます。
このときのレースは世界的に高く評価され、レース後、モンジューは135、エルコンドルは134という世界最強クラスのレーティング(能力度)を与えられています。
この数字は昨年、イクイノックスの135に抜かれるまで長く保持されていた日本歴代の最高値でした。世界が認めたエルコンドルの実力の証ですね。