蛭ヶ小島にある源頼朝と北条政子の夫婦像(静岡県伊豆の国市) 写真/GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います

2代目は地味キャラが多い?

 北条義時は鎌倉時代初期の武将であり、その後半生は幕府の重鎮として権力を持った人です。そんな彼のことを私は拙著『北条義時』(星海社新書、2021年)において「地味キャラ」と評しました。すると(義時は地味キャラなんかではない)との声も聞かれたが、それでもやはり私は彼のことを地味キャラだと思っています。

 これまで講義の時に「義時という名前聞いたことある人?」と聞いても、年配の方1人が自信なさげに手を挙げるか挙げないか程度。歴史に関心を持たない一般の人にとっては、遠い過去の学生時代に一度か二度、その名前を聞いたかどうかというところ。源頼朝・織田信長や豊臣秀吉・徳川家康と比べたら、格段に地味といえるでしょう。

 義時の親族と比べてもそうです。義時の父は北条時政。頼朝の挙兵に付き従い、次第に権力への階段を昇っていった人ですが、時政のほうを「知っている」という人が多いのではないでしょうか。大河ドラマでも、「ちょい役」ではあるとしても、よく出演しているからです。そして、時政の娘は北条政子。義時の姉であり、言わずと知れた頼朝の妻、「尼将軍」としても有名です。

 義時の子、後継者は北条泰時。「御成敗式目」(1232年制定)という法令を制定したとして、学校などでもよくセットで名前を覚えさせられた人物です。義時の生涯のなかでの見せ場と言えば、後鳥羽上皇が挙兵した承久の乱(1221年)でしょうが、教科書では、この緊迫した場面も、姉の政子の頼朝の御恩を訴える「演説」のインパクトにより、義時の存在は薄いと言えましょう。地味か否かというのは、個々人の感覚や状況によって異なる面があるにしても、客観的に見て、義時はやはり、地味だと思うのです。

 義時は、鎌倉幕府二代執権と言われます。執権とは、鎌倉将軍を助け、政務を統轄する重要役職。1代目は、父・時政。3代目は子の泰時。こうして見ると、私には思い出される武将がいます。徳川秀忠です。

 江戸幕府の2代将軍ではありますが、父の家康(初代将軍)、子の家光(3代将軍)に挟まれて「地味」というのは、昔から言われてきたこと。室町幕府にしても、初代将軍の足利尊氏、3代将軍の足利義満に挟まれた2代将軍・足利義詮は「地味」でしょう。歴史好きは別にして、義詮という名前、聞いたことないという人も多いはず。幕府の歴史上、2代目というのは、地味キャラとし て扱われる運命にあるのでしょうか。

 しかし、現代において地味だからといって、その人が生きた当時に重要なことを成し遂げなかったか、その歴史人物から学ぶことがないかと言えばそうではありません。義時から学べることもあるのです。彼の生涯については拙著『北条義時』をご覧頂ければ幸いですが、ここでは、義時の人間性やリーダーシップから学べることに触れていきたいと思います。