1973年5月6日、NHK杯、ハイセイコーが無傷の10連勝 写真/山田真市/アフロ
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(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

競馬ファンが熱狂!地方競馬の怪物の中央移籍

 昨年末の有馬記念で優勝したのは3番人気の3歳馬・ミュージアムマイルですが、私の古くからの友人で競馬歴の長い某作家から「ミュージアムマイルは30年ほど前に初めて一口馬主になった牝馬の曾孫(ひまご)だったので、単勝で勝負してバッチリ。長いこと競馬をやっていると、こんな楽しみがあるんですね」と、新年早々うれしいメールが届きました。

 ほかのスポーツを思い返してみると、同じ競技で3代前の祖先とのつながりが語られることは稀有のことなので、これも「血統」という背景を持つ競馬の大きな魅力ですね。

 ちなみに、一口馬主とは1頭の競走馬に複数の人(たいていが大人数)が共同出資する制度で、当然ながら獲得賞金も分割配当されますが、大金を支払わずに馬主気分を味わえます。

 午年という競馬にふさわしい年を迎え、新しいスターホースの登場が期待されますが、4月から始まるクラシックレースの有力候補に挙げられているのは、当然のことながら昨年末の2歳馬G1レースで上位となった牡馬牝馬たちでしょう。

 そんな時期に、地方競馬で名を成した馬がいきなり中央競馬の舞台に登場してきたら、どうでしょう。おそらく競馬ファンの多くは即席評論家となり「あれはすごいぞ」「でも、たかが地方競馬での実績だろ」等々、クラシックシーズンを前に侃々諤々の予想合戦が勃発、クラシックレースの前哨戦から否応なく大いに盛り上がることでしょう。そうした事態が、ほぼ半世紀ほど前に実際に起こりました。

 今からおよそ54年前に当たる昭和47年(1972)11月28日付けスポーツ紙の競馬記事切り抜きコピーが私の手元にあります。

「ハイセイコーまたも圧勝」「ユウシオ(中央)より強い!」「青雲賞で6連勝」「明春、中央に挑戦か」「チャイナロック最高の傑作」と列挙された見出しの活字が躍り、この馬の快走写真とともに目の中に飛び込んできます。

 古い記事なので、注釈を加えると、ハイセイコーという快速馬が2着馬に7馬身という大差を付けて勝利したことを伝える内容で、舞台は東京競馬場でもなければ中山競馬場でもなく、都が主催する公営の大井競馬場。

 国(当時の農林省)が主催する中央(中央競馬会)の競馬から見ると格下の地方競馬での圧勝劇ではあるけれど、このハイセイコーという馬は中央の舞台でもユウシオという馬以上の活躍が大いに期待できる、といったニュアンスが十分に伝わってくる見出しでした。チャイナロックというのはハイセイコーの父馬に当たる種牡馬の名前です。

 この記事コピーは、このときの「青雲賞」に出走した1頭を管理していた某調教師から30年ほど前に頂戴したものですが、某師は生前「いやあ、あの馬は強かった」と実感を込めて語り、言葉少なではありながら、ハイセイコーという馬の強さがいかに衝撃的だったかということを感じさせてくれました。

 この青雲賞を最後に、ハイセイコーは地元の大井競馬場から中央競馬に移籍、翌昭和48年(1973)の競馬界はハイセイコー一色の年となります。

 中央初見参の舞台は3月4日、中山競馬場での「弥生賞」(現在は「弥生賞ディープインパクト記念」としてG2レースに格付け)。当日、中山競馬場に押し寄せたファンは12万3000人とされ、ハイセイコーは単勝1.1倍の1番人気に支持されました。同競馬場で行われたオグリキャップの引退レース、平成2年(1990)の「有馬記念」当日に記録された17万7779人には及びませんが、それ以前の中山競馬場入場者としては最多かもしれません。