柵の向こうに見える蒜山の美しい山並み
内部は鋼製の“蓋”の効果で温度が比較的高く保たれ、照明がないので懐中電灯を頼りにコンクリートの空間を歩く。短いトンネルだが、廃線後約40年間クローズされた“闇”の迫力があった。
山守トンネルを出ると、「あっ!」と言葉を失った。線路がすぐ先でなくなっているのだ。
小鴨川を渡る橋梁と高架線路が撤去され、対岸の工場があるあたりに廃線跡らしき築堤が見えた。そこにもレールが一部だけ残っている。天候に恵まれれば蒜山の山々が遠望できるポイントで、現在は立入制限エリアだが、運行当時は素敵な車窓が望めたことだろう。
倉吉線は、いまはなくなった鉄橋で小鴨川を渡ると右にカーブし、ほどなく終点の山守駅に着くのだが、草に覆われていて駅らしき跡は見られない。
しかし路線図に掲載された写真で、一面一線の小さなホームがポツンとあったのを見ると、1日わずか6往復(1980年時点)の短編成の列車が静かに停車するさまと、それが今は夢の跡のような一面の草むらに郷愁を感じた。
もし、その先に線路が延びて、近くにそびえる鳥取・岡山県境の山々の絶景車窓を楽しめる列車が走っていたら、と一瞬考えた。だが、駅の跡の周辺に民家はほとんど見られなかったことから、人口減少下の沿線地域に負担の重いインフラの遺産を残さなかった答えを自ずと理解できた。