倉吉線は、山陰本線の倉吉駅から岡山県境の中国山地に近い終着駅・山守駅まで運行されていた営業キロわずか20kmのローカル線で、終点から先は鉄道との接続のない、いわゆる盲腸線だった。 鉄道ファンには、小回りのきくタンク式のC11形蒸気機関車がわずか数両の旧型客車と貨車を同時に牽引する“混合列車”が名峰・大山を望むのどかな風景をバックにゆっくりと走る姿が人気だった。 時が流れ、宅配便会社が地域のバス会社などと連携して地域住民の輸送も担う客貨混載形のサービスも始まっているが、その先駆けのような存在だった。 その歴史は古く、1912(明治45)年、当時の上井(あげい)駅(現・倉吉駅)から市街地の倉吉駅(