一方で井戸元知事に近い幹部らを露骨に排除したと言われる。告発文書を書いた元県民局長も、それゆえ本庁へ戻れなかったという説もある。

「元県民局長さんは一生懸命仕事をやられる方で、私自身は尊敬していました。ただ、人事というのはその時々でいろいろありますから、自分が思うようにならないこともあるでしょう。それでも目の前の仕事を一生懸命やるのが、公務員としてのプロ意識だと思います」

 彼が告発文書を書いた理由を、人事上の不満だったと考えているのか。

「いや私は、そこはわからないです。それはまさに百条委員会で聞きたかったですね」

広がり続ける真偽不明の情報

 最後に兵庫県知事という職務へのこだわりを聞いた。よく知られるように、斎藤の「元彦」という名は4代前の金井元彦知事から取っており、3年前の選挙では「兵庫県知事になることが私の天命」とまで語っていた。全議員からの不信任という逆境で再出馬した理由もそこにあるのか。

「総務省に入って地方自治を志したのは、いずれ知事にという強い思いでした。そして3年前に知事になり、今は仕事をきちんとやり遂げたいという思いですね。県内を回ると、万博へ向けたフィールドパビリオン、高校生や若者世代の応援とか、自分がやってきた政策をすごく喜んでいただいている。

 私は地位に固執するタイプではないんです。政策を企画立案し、実行していくことが心から好き。いい政策を、県のために、自分のすべてを懸けてやりたいという思いですね」

 私が斎藤と知り合ったのは、ちょうど彼が兵庫県知事選への出馬を具体的に考え始めたという2020年6月だった。一対一で話せば、穏やかな語り口や表情もその当時と変わらない。しかし、この4年余りの間に彼を取り巻く状況はあまりにも大きく変わり、その実像も、何が事実であるかも不確かなまま、ネットや路上に真偽不明の情報が広がり続けている。

 告発文書問題をめぐる過熱報道は、いずれ検証されるべきだろう。だが、知事という権力の座にいた者が疑惑を追及したマスコミや県議会を敵視し、それに人びとが喝采を送る光景には危うさを感じざるを得ない。