ネットでつながる支持者たちは、こうした主張を共有している。「県庁建て替えの凍結」「天下り職員の定年厳格適用」などの改革に反発した県職員やОBが斎藤を引きずり降ろそうと画策し、これにマスコミが加担した、というストーリーだ。しかし、それは本当だろうか。
私が県庁や周辺を取材してきた中では、そうした反発も皆無ではないものの──そこには井戸氏後継の元副知事と争った選挙が尾を引いている──組織的な動きがあったわけではない。前々回の記事(【斎藤元彦・兵庫県知事】失職でも「自分はそこまで悪くない」、言葉の端々に垣間見える“鉄面皮知事”の本音)でも書いたように、現役職員たちはむしろ、閉塞感を打破する存在として、若い斎藤に期待していた。それが度重なる理不尽な叱責、パフォーマンス先行の独善的「改革」、少数の幹部による側近政治などで失望に変わり、疲弊していったというのが実態に近い。
【関連記事】
◎【斎藤元彦・兵庫県知事】失職でも「自分はそこまで悪くない」、言葉の端々に垣間見える“鉄面皮知事”の本音
斎藤自身はどう考えているのか。私は告示前に行った単独インタビューで、「知事の資質」について集中的に聞いた。
「私のスタンスと、求められる知事像が食い違っていた」
まずパワハラの認識だ。五条氏の言う「付箋を投げた」件は、斎藤自身も百条委でパワハラと認めた行為だが、それ以外にも「公用車から20メートル歩かされて激怒した」「ホテルで予約がないのに大阪府の吉村知事と食事をさせろとキレた」など多数の証言がある。
全職員の7割に当たる6725人が回答したアンケートでも、パワハラを経験または見聞きしたという人が2851人と、42.4%に上った。幹部職員以外と接する機会の少ない知事としては、驚くべき数だろう。
本人は多くの件について「適切な指導だった」「問題なかった」と主張するが、周囲の受け止めとは明らかにズレがある。感情的になりやすい性格なのか。一部で指摘されるように、総務省職員時代に培われた霞が関の官僚文化なのか。
「普段の仕事で事細かく、ガミガミ言うタイプではないです。でも、大事なポイントでは結構厳しく言いますね。報告がない、一度指示したのに反映されてないとか。報・連・相をきちんとするのは霞が関でも叩き込まれました。怒りっぽい性格ではないです。ただ仕事の面では、ミスや注意漏れとかをされたら、ちゃんとしてほしいと厳しく言うタイプではありますね」