治安は悪化している?実は刑法犯の認知件数は減っている
法務省『令和5年版犯罪白書』によれば、令和4年の刑法犯認知件数は約60万件。ピークは平成10年代で毎年250万件を超える認知件数だった。それを思えばおよそ25年で刑法犯の認知件数は4分の1近くにまで減少している。
なお「窃盗犯を除く犯罪」件数も半減しているし、検挙率も微増で52.9%である。殺人と強盗に限定すれば、前者の検挙率が95%を超え、後者も9割を超える。なお刑法犯の検挙人員の年齢は高齢化しており、20歳未満が占める割合は減少の一途である。
どうだろうか。もちろん「日本が絶対安全」とまではいえないにしても、一般に認知されている日本の治安イメージとデータが相当異なっている印象をもつ読者も少なくないのではないだろうか。
ある意味では警察行政の必要性が問われかねない事態ともいえ、近年、警察行政の文脈では前述のようなデータに基づく「指数治安」に加えて、国民の主観的な安心感情改善の文脈で「体感治安」という概念を導入して、その改善を強調するようになっている(匿名・流動型犯罪の取り締まりにおいても言及されている)。
感染症対策に戻ろう。人々の主観に基づく「不安―信頼」感情は感染症対策の前提に存在し、大きな影響を及ぼす。そのため、そのマネジメントが必要だ。ここで重要なのは「不安の(完全)払拭」や完全削除ではない。必要なのは、一定期間において、人々の感情に基づく突発的で、脊髄反射的反応、非理性的行動をある範囲でマネジメントすることであろう。
社会学者ジグムント・バウマンは「直接的不安」と「間接的不安」という概念を導入する(『液状不安』)。前者は直接的な生命、身体の危機である。戦争や災害、重篤な感染症拡大などで生じるとされ、後者はそうした原因がなくても人々が感じる、ある意味では根拠のない不安のことである。
どちらの不安も一度拡大してしまえば、人々の予期しがたい反応を、そして多くの人が政策や政治、感染症対策に限定的な関心しか持たない社会においては、同じように不確実性の背景になる。