感染症対策は政府と国民の信頼関係が肝

 新しい政府行動計画にはリスク・コミュニケーションに関する記述が格段に増えた(行動計画中では「リスクコミュニケーション」)。情報環境の複雑化を受けてのことだと思われる。

 人々が情報を入手する手段として、従来のマスメディアからネットに急速にシフトしつつある。なおこれは若年世代だけではなく、概ね全世代においてである。行動変容のような対策から、買い占め行動抑制といった社会経済分野の対策までリスク・コミュニケーションが重要であることは明らかだ。そして、新型インフルエンザのときも、新型コロナのときも、それらがある時期以後機能しなくなったことも。

 新型インフルエンザ等対策特別措置法の緊急事態宣言下の外出自粛に代表される「自粛と要請」は強制的な緊急事態法制をほぼ持たない日本の感染症対策の要である。

 政府と国民が信頼状態にあるときには円滑に理解を調達することができるだろうが、不安状態にあるときには人々の理解や行動変容を期待することはできないはずだ。コロナ禍においても、緊急事態宣言が繰り返されるなかで、そして人々の納得感が低下するなかで、そして「自粛疲れ」が拡大するにつれて、自粛と要請戦略は機能しなくなっていった。こうした問題にどのように対応するのだろうか。

 残念ながら、管見の限りでは明確な答えは政府行動計画中に見当たらない。というのも、リスク・コミュニケーションについては「在り方の検討」「理解しやすい内容や方法で周知」という抽象的な記述が繰り返されるにとどまっているからだ。

 そもそも「リスク・コミュニケーション」は法律用語でも、政策用語でもない。文脈ごとに相当柔軟に使われている。

 中身についてはこれから考えるということかもしれないが、これでは旧計画と同じだ。旧計画でも新型インフルエンザの感染拡大を受けて、リスク・コミュニケーションの重要性が強調されていたが、現実には政府の感染症関係大臣だけでも総理、官房長官、厚労相、内閣府特命担当大臣と多数あり、体系的な発信やコミュニケーションが準備、改善されていたとも思えない。

 それが尾身茂氏らの創意工夫であり、しかし思いつき的な「リスク・コミュニケーション」や、ときに「前のめり」と評されたメディアでの印象につながったのではないか。

 仄聞するところによれば、新型インフルエンザのときにはできていた厚労省によるマスコミレクも特に感染拡大初期などには人手不足などから実施できなかったという。政府行動計画にもこうした問題をどうするのかという具体的な記述は見られず、前述の「不安のマネジメント」という観点では懸念が残る内容になっているのではないか。

 このような問題意識のもと、第11回日経・FT感染症会議当日のディスカッションに挑んだ。

 時節柄、選挙関係の仕事が立て込んでいて、登壇するセッション以上に会場に滞在することはできなかったが、多用なバックグラウンドの研究者、実務家が意見の交換やネットワーキングに勤しんだと思われる。

 世間の関心が低下してからも、こうした取り組みを民間で続けることはコスト面でも並大抵ではないはずで、強い意志が必要と拝察する。関係者に敬意を表するとともに、微力ながら読者諸兄姉にけっして愉快なことではないことを理解したうえでそれでも避けられない次の感染症と感染症対策へのいまいちどの関心惹起をお願いして今週は筆を置くことにしたい。