車椅子の性豪・第32代ローズベルト大統領

 ジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンと並び、現在も人気を誇る第32代大統領フランクリン・ローズベルトは合衆国史上唯一の4選を果たした大統領で、在任期間が約12年に及ぶ。

 米国第26代大統領のセオドア・ローズベルトの遠縁の従弟にあたる。

 家族とともに夏休みを過ごしたカナダ・カンポベロ島の冷たい海で泳いだことがきっかけで、39歳の時ポリオ(小児麻痺)にかかり、以降、両足の自由を失い車椅子の生活となる。

 ニューヨーク州知事に選出後、世界恐慌の最中の大統領選挙に立候補し、ニューディール政策を掲げて当選。大統領に就任すると、政治や経済の専門家を登用し、策定した恐慌対策を矢継ぎ早に実施。

 国民に対して分かりやすい言葉で、直接語りかける炉辺談話が人気を博した。支持率の高さを背景に、強いリーダシップを発揮する。

 また、第2次世界大戦への参戦で連合国を主導。戦時経済によって米経済を世界恐慌から回復させたと評される。

 国際連合の生みの親であり、現在の米国の基礎をつくった人物として、最も偉大な米国大統領の一人に挙げられている。

 マンハッタン計画で原子爆弾の製造に着手し、1945年7月16日世界で初めて原爆実験を実施。

 原子爆弾が製造されると、後任の第33代大統領ハリー・S・トルーマンの指示で広島に1945年8月6日・長崎に8月9日に投下、合計数十万人が犠牲となった。

 ローズベルトと妻アンナ・エレーナとの出合いは、ハーバード大学の学生だった頃で、彼女はすぐに彼に夢中になり、エレーナが20歳のとき、まだ学部生だった当時22歳のローズベルトと結婚する。

 エレーナは第26代大統領セオドア・ローズベルトの姪(弟の子)で従妹であり、夫フランクリン・ローズベルトの遠縁の親類にあたる。

 エレーナ夫人は、太平洋戦争の最中、日本軍が撤退したばかりのガダルカナル島を慰問し、兵士から大歓迎されたり、夫の尽力で発足した国際連合においても重要な役割を果たしたりするなど、知的で行動的な彼女は多くの国民から広く慕われていた。

 エレーナはローズベルトとの間に10年間で娘1人、息子5人の子供をもうけている。