パリ五輪で強くなれた理由

 花の都で快走を見せた鈴木だが、昨年10月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)を制して、パリ五輪代表内定をゲットしてから順風満帆ではなかった。

「初めてのオリンピックに向かうなかで故障もあって、心身とも余裕のない状態が続いていたんです」

 4月13日の金栗記念10000mで2位に入るもタイムは33分21秒85と伸び悩んだ。さらに5月に左のシンスプリント(骨膜の炎症)を発症して、本格的なトレーニングが2~3週間できなかったのだ。

「ここまで自分を責めたことはありません。何のためにオリンピックに出るのか、考えたこともありました。でも周りが期待してくださることを重荷にとらえるんじゃなくて、シンプルに喜びに変えていけばいいという発想になったんです」

 鈴木はこの窮地を〝究極のプラス思考〟で乗り切った。

「このタイミングでの故障は何か意味がある。それをいかに力に変えるのか。そう考えるようになって、いい意味で疲労が抜けたのかな。体をフレッシュな状態に戻せて、正しい動きで、イチからベースを作ることができました。走れない時期はバイクトレーニングや水泳で追い込み、補強もやりました。それが今回のタフなコースにはうまく生きたんじゃないかなと思います。パリ五輪はメンタル面で大きく成長できた。これから苦しい局面に入ったときの発想の仕方を自分なりに見つけられたんじゃないかなと思っています」