不採算部門・店舗の売却や閉鎖に取り組んできたが…

 セブン&アイの歴史は、伊藤雅俊氏(2023年死去)が東京・千住に開いた「羊華堂」から始まる。これがイトーヨーカ堂となりスーパーマーケットの「イトーヨーカドー」を多店舗展開。さらには1974年にセブン-イレブン第1号店を開店。その後2004年に持ち株会社セブン&アイが誕生。傘下にスーパー、コンビニ、百貨店、外食、銀行などを持つ、日本最大の流通グループとなった。

 このようにスーパーを源流とするセブン&アイだが、最近はその祖業がグループのお荷物となっていた。イトーヨーカ堂は前2月期までの8年間で800億円の赤字を出している。この赤字を、国内外のセブン-イレブンや、2021年に買収した米ガソリンスタンド併設コンビニ「スピードウェイ」などのコンビニ事業が埋めていた。

 そのため、これまでにも外資系ファンドなどのモノ言う株主(アクティビスト)から、スーパーなど不採算部門を切り離し、コンビニ事業への集中を繰り返し求められてきた。

 そこで2023年3月9日には、イトーヨーカドーを大量閉店することと衣料部門からの撤退を発表した。源流の羊華堂は衣料品店であり、衣料品は祖業中の祖業。それを切り捨てるというのだから、セブン&アイにとっては断腸の思いだったに違いない。そしてこの発表の翌日、創業者の伊藤雅俊氏が亡くなった。

祖業のイトーヨーカ堂を切り離す決断をしたセブン&アイ・ホールディングス祖業のイトーヨーカ堂を切り離す決断をしたセブン&アイ・ホールディングス(写真:共同通信社)

 構造改革はこれだけではない。2023年8月には、グループの百貨店部門、そごう・西武を米投資ファンドに売却した。

 そごう・西武は、それぞれ不振に陥っていたそごうと西武百貨店が2003年に経営統合し、2005年にセブン&アイグループ入りしていた。しかしそれでも業績は改善せず、2023年2月期まで4期連続で最終赤字を計上し、スーパー部門と同じくお荷物化していた。

 そこで売却に踏み切るのだが、その価格が8500万円だったことからも、百貨店事業への評価が分かろうというものだ。

 このように、不採算部門・店舗の売却・閉鎖によって企業価値向上に取り組んできたのがここ数年のセブン&アイだった。

 しかしACTからの買収提案を受け、さらなる企業価値の向上に取り組まざるを得なくなった。特に2度目の7兆円の提案に対しては、一部のアナリストも「妥当な価格だ」と評価する。これに対抗するには、今までとは異なる抜本的な改革案を出さざるを得ない。それがスーパー部門の切り離しと社名の変更だった。

(図表:共同通信社)
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